年間第4主日(B年)の説教=マルコ1.21~28
2012年1月29日
よく考えるまでもなく、わたしたちは誰をとっても、気付いた時には何かをしゃべり、何かをできるようになっています。その間に何が自分に作用したのか完璧にわかる人はいません。わたしたちの育ちはそのようなものです。幼児期に特に大事なのが、「ことば」です。いわゆる、五感を通してわたしたちはいろいろな情報を取り入れ、そして利口になり、賢明さを身につけていきます。
一人ひとりの知恵や知識も、その人の長い歴史の中で、誠実に歩んできた度合いに応じて、その歩みから培われていきます。この意味では、生きる道のりで、どのような人と出会い、そして、どのような体験を積み重ねてきたのかは、とても大事です。その結果、その人らしさ、その人ならではの品位と権威が付与されていきます。
親が子どもの前で権威があるのは、なにも子どもより早く生まれてきたからではなく、子どもに伝えるべき内容を持ち合わせているからです。その中身は、その人が生きてきた歴史の中で真実に裏付けられてきたものの中から、生まれてきます。だからこそ子どもの前で、人々の前で権威があるのです。
つまり、その人が中身のある生き方をしてきたということを前提としています。その権威は、法律的に付与されたものではなく、その人となりが醸し出すものであります。イエスさまの「権威ある教えも」、そうした環境から人々に示されたものでした。そこには、ごまかしとか偽りを見いだせなかったのでした。まったく、人々は感動し、感嘆したのです。
イエスさまのなさり方は、いつも自然でした。虚栄もなければ誇張もないのです。本当に体験した人にとって、その体験を話すときにはとても謙虚になります。そして、おのずといろいろなことに配慮しながら相対することができます。この体験を、今年させていただきました。
「やさしくなる」とはどのようなことなのか、少しでもその入口に立たせていただいたような気がします。願わくは、これからの体験が、もっと深まりのある、豊かなやさしさある「わたし」へと成長する力あるものとなりますように!!
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