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三位一体:信じて近づこう!わたしたちの思いと能力をはるかに超えた神の心

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三位一体(A年)の説教⇒2026/05/31

【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される

三位一体(A年)の説教=ヨハネ3・16~18

2026年5月31日

わたしたち人間の社会では、どうして、出来事の真実を明らかにすることが大変というか、こんなにまで難しいのでしょうか。明らかにされないまま、人々の意識の中から遠のき、ついには「迷宮入り」となっていく問題・事件が数多くあるような気がします。

思いだされるのが「森友文書改ざん問題」です。みなに納得のいく結論が出たのでしょうか。マスコミの取り上げ方も、今では小さな見出し扱いです。みなさんに関心がなくなったとは言い難いでが、・・・。公的に大きな取り上げ方がなされなくなってきたのは事実のようです。それでもというか、だからこそです、「国を再提訴」の中見出しが目に飛び込んできました。(南日本新聞2026年5月26日朝刊、読売新聞西部版2026年5月26日朝刊) 

「2018年に改ざんを苦に自殺した元近畿財務局職員赤木俊夫さん=当時54歳=の妻雅子さん(55歳)が、関連文書の一部を「不開示」とした国の決定を不服とし、取り消しを求めて大阪地裁に近く提訴することが25日、分かった。・・・雅子さんは同日、大阪市内で記者会見し『わたしが知りたいことは、たくさんの資料が開示されても分からなかった。改ざんの出発点を知りたい』と話した。改ざんについては俊夫さんの手記などに、当時理財局長だった佐川宣寿氏の指示をうかがわせる記載があった。18年に財務省が公表した調査報告書でも、佐川氏が改ざんを方向付けたとの記述があったが、詳しい指示系統は不明だった。」(南日本新聞)
「雅子さんは会見で、『亡くなる前、苦しんでいた夫を助けられなかった。まだやれることはやりたい』と語った。近畿財務局職員のノート三冊が不開示のままだといい、このノートの開示を求め、大阪地裁に提訴する方針を明らかにした」(讀賣新聞)

人間社会は、権力の座に就いた人が「白」といえば「黒」であっても白に変えざるを得ないもろい面をもった世界でもあります。ことの中身が大きくなればなるほどに大問題です。戦後、日本社会において、「主権在民」が選挙のたびに話題にというか言葉として登場していました。今でこそあまり言われなくなってきました。「国民主権」なる言葉に変わってきたとか、・・。そもそも、言葉の意味が分かっていないところもあります。

簡単に調べてみました。

主権在民とは、国家を統治するための最も大きな権力が国民にあるという考え方です。これは、国民が政治的決定を行う権利を持つことを意味し、国民主権とも関連しています。日本国憲法第1条では、国民が主権者であると明記されており、これは戦前の天皇主権体制からの大きな転換点です。」

また、主権在民 、国民主権の違いは、

「主権在民: 国家の権力の正当性の根っこが『民衆の意志』であることを強調し、国民が直接政治を動かす場面だけでなく、日常の合意形成や社会全体の価値観の変化といった広い範囲でも民意が重要であるという考え方。 

国民主権: 権力の源泉は国民であることを前提にしつつ、選挙で選んだ代表が政策を作り、法を整えていくという制度設計を指し、民意を集約し安定した政治運営を可能にする枠組みを意味する。」 (Noteより)

わたしたちが住んでいるこの世は、それぞれの地位への欲と、もの、金銭への欲と、その他さまざまな欲へのしがらみの中で、多くの人が競い合って生きています。問題が起きたときに、それにかかわっている人が多ければ、その数だけの「しがらみ」が競い合っています。それだけに、問題が起きると、真実にたどり着くまでに手間暇がかかります。とはいっても、その一方で「しがらみ」が、確かに世の発展のためになるものでもあるのです。だから、物事がややこしくなってきます。

三位一体:神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためである
三位一体の主日(A年)の福音(ヨハネ3・16~18)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

同じこの世でも、神を信じているわたしたち信仰の世界においては、すっきりとしているということができます。どのような意味かと言いますと、神ご自身が自らをわたしたちにお示しになり、ご自分が何たるかを開示なさったからです。それが、きょうの祝日・三位一体の神です。

どんなに優れた宗教家であろうとも、みきわめることができないものでしょう。どんなに優れた学者であろうとも知ることができないことでしょう。わたしたちの思いと能力をはるかに超えた神秘です。神の方からわたしたちに近づき示され、明らかになった真理なのです。そこには、人間の「欲」が行きかう隙間もないほどに神の愛で満たされているのです。今日の第一朗読ではモーセにご自身で語り、その奥義を示されます。

「主は彼の前を通り過ぎて宣言された。『主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。』」と。

さらに、ニコデモとの対話の中で語ります。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3・16~17)と。

神の心は、人間が自分の欲望から二度三度と罪を犯し、汚れ、醜くなっていこうとも、とどまることのない愛とゆるしの豊かさをもっているのです。人間の側から神に対してどんなに厚い壁を作っても、神の愛とゆるしの心はそれを飛び越えていくのです。こうした神の底知れない愛が原動力となって、三位の神がわたしたちに開かれてきたのです。この愛の心から神はわたしたちの世界にひとり子をおくられました。

神の心を受け止め信じるところに、人の欲望の渦の中に戸惑うこと、惑わされることから解放されていくのではないでしょうか。前向きになって少しずつ歩を進めましょう。

小さく弱いながらも、その歩みを止めず、続けましょう。

 

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