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キリストの聖体:神の愛をどこまでも身近に感じさるためにイエスが制定

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キリストの聖体(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

キリストの聖体(B年)の説教=マルコ14・12~16、22~26

2021年6月6日

人は、やはり働いていることで充実感を味わい、生きていることの実感を抱き、さらに飛躍しようとする前向きな気持ちになれるものだなと思っています。言い方が妥当かどうかわかりませんが、人の成長もここにかかっているのではないでしょうか。

人の成長は働いていることの充実感から

さらには、自分の働きがあって誰かの役に立ち、喜ばれていることが自分自身に伝わってくると、さらに前へと自分を押し出す内なるエネルギーが湧いてきます。これが次から次へと増大していくとき、「わたし」の充実感が「わたしたち」の生きる充実感となって、周りの人々を変えていきます。いや、自ずと変わっていくものです。

静岡県熱海市の山中に木を伐採するチェーンソーのけたましい音が響き渡っているそうです。間伐などの森林保全活動に取り組んでいるNPO法人「熱海キコリーズ」(同市)の面々です。熱海市主催の林業研修などに参加した15人ほどが2016年に設立した法人です。(南日本新聞2021年5月28日朝刊) 得られた間伐材は市内のカフェやレストランに販売。加工業者や、時にはメンバー自身の手によって家具や食器に姿を変えます。

熱海キコリーズの最大の特長は、20人のメンバー全員が普段は別の仕事をしているということです。代表の能勢友歌さん(39歳)は「異業種の人が関わることで発想が多様になる」とその意義を強調します。

林業で35歳未満の割合が増加する理由は

林野庁によると、林業従業者の数は徐々に減少しているとのこと。しかし一方で、35歳未満の若者の割合は増加しているのです。2015年は1990年の約3倍に当たる17%を記録しています。多くの産業で若者の割合は減っているのに、林業だけが違うというのも珍しい傾向ではないでしょうか。

それには、各企業の取り組みが功を奏しているといえます。あきる野市(東京)の森林整備業「山武師」は、都会的な雰囲気の海外製の作業着を導入しています。「格好いい林業」を目指し、森の中でチェーンソーなどを手にポーズをとる写真を会員制交流サイト(SNS)に掲載しています。代表取締役の森谷隼斗さん(30歳)は「見た目から興味をもってくれる人を増やしたい」と話しています。

また、田辺市(和歌山)の育林業「中川」の創業者、中川雅也さん(38歳)は、「きつくて危険というイメージを変えたい」との思いを胸に2016年に独立し、けがのリスクを減らすためドローンを活用したり、給与は日当制にしたり兼業しやすい環境を整備したそうです。最近は20代の社員も活躍しているとのことで、「今いる若者も将来は独立して、それぞれの形の林業を実現してほしい」と期待を込めて語っています。

3K脱却に本腰、目標から目をそらさずに

林業を手掛ける各地の会社や団体が「3K(きつい、汚い、危険)」からの脱却に本腰を入れている結果が、若者の割合増加につながっています。徐々に増加していくからこそ本物なのではないかと感じます。時の流れとともに、働きそのもの、そのやり方等にも変化が生じ、流れを前に戻すのではなく、新たな道筋を作り出していくことが、今に生きているわたしたちの役割ではないでしょうか。働きの実りがすぐにあらわれることはなくても、目標から目をそらさずに進んでいくとき、見えてくるのではないでしょうか。

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今、イエス・キリストの受難、復活、昇天、聖霊降臨の祝日を過ごし、今日はご聖体の主日です。聖体の制定は、みなさんご存知のように最後の晩餐の席でのことでした。人間の醜さゆえの十字架刑、ユダの裏切り、ペトロの三回にわたるイエス否認のできごと等、これらのことすべてをご存知の上での制定でした。

イエスの活動の原点は、天の御父の「愛」

何も殺されるような理由など何一つないのです。それよりも、社会の底辺で苦しみ、重荷を背負わされている人々にとっての、本当の救い主だったのです。そして、イエスのすべての活動を動かす原点にあったものは、天のお父の愛でした。ところが、それらはことごとく人々の誤解を招き、イエスの本当の姿を、その人格を正しく受け止めることができる人はいませんでした。結果として、わたしたちは、自分たちを救ってくれるその愛を、業を知らないうちに拒んでしまっていたのです。さらに、邪魔な存在者として排斥してしまったのでした。聖体制定の夜は、人間のもろさ、醜さが極限に表面化した時であったのです。

イエスは、人の弱さ、もろさ、卑怯さ等、よくご存知です。だからこそ、あり方を変えてわたしたちとともにいようとされました。人に裏切られたにもかかわらず、聖体の姿を通してわたしたちと一人ひとりの歩みと一体になろうとなさいます。人が望みさえすれば、寄り添ってくれます。人はイエスに近づきやすくなりました。イエスもわたしたちの中に飛び込んでこようとなさいます。いつでもわたしたちを救おうとなさるイエスの心に感謝するとともに、それにこたえようとするわたしたち一人ひとりを目指したいですね。

聖体制定はイエスの優しさの具体的な現れ

日本の林業の世界で、だれもが関わりやすくなってきた姿、特に若者に受け入れられている現実は、その世界をさらに発展させる力を感じます。その魅力を絶やさないように、・・。

信仰の世界で、聖体の制定は、まさに、誰からも受け入れられるわたしたちに身近な、神の愛、イエスのやさしさの具体的やり方です。一片のホスティア、拒もうとすればいとも簡単にできます。それでも、そのやり方にこだわったのが神なのです。

わたしたちならどうするでしょう?

 

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