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待降節第2主日:洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、悔い改めの洗礼を宣べ伝えた

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待降節第2主日(B年)の聖書

待降節第2主日(B年)の聖書

待降節第2主日(B年)の聖書=マルコ1・1~8

2023年12月10日

1・1神の子イエス・キリストの福音の初め。

2預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。

3荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、

4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。

8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

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2023年12月10日の説教

待降節第2主日:『悔い改め』は生きる姿勢の転換。その難題を可能にするには
日常わたしたちが言う「悔い改め」とは何を意味しているのでしょう。「人としてあるべき道」へ戻ることでしょうか。だとすれば、そもそも「あるべき道」とは何なんでしょうか。

2020年12月6日の説教

待降節第2主日:メシア(救い主)の力強さは、愛するが故の最高の力です
「ゆるし続けていく」ということの中に、メシア(救い主)としての最高の力があらわれています。ですから、わたしたちは信頼と安心と安全のうちに信じ、希望し続けることができるのです。だからこそなお、わたしたちとしては、立ち直るきっかけを見逃さないことです。

2017年12月10日の説教

待降節第2主日:イエスの先駆者・ヨハネが示したメシアの姿とは?
先駆者ヨハネは「道を整え、罪のゆるしへと導く悔い改め」を「力強く」宣言し、「忍耐力」をもって「愛にあふれた」メッセージを民に語り続けたのです。ヨハネが、今の「わたし」に何を語りかけているのか見出してみたいですね。

2014年12月7日の説教

待降節第2主日:メシアを「待ち望む」ことに裏切りはあり得ません。
待降節は字のごとく、「待ち望む」期間です。キリストの誕生を待つと同時に、将来における救いの完成を待ち望む心を整えるという意味も含んだ「待つ」です。

2011年12月4日の説教

待降節第2主日:神は羊飼いのように、羊の群れを養い、導かれる
愛に裏づけされた権力は、みなに安心感とゆとりを与えてくれます。落ち着きを提供してくれます。だから、居心地がいいのです。動きたくないのです。テコでも動かない強さが育ってきます。

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第1朗読>>イザヤの預言

(イザヤ40・1-5、9-11)

慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、
苦役の時は今や満ち、彼女の答は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。
呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え、
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。
主の口がそう宣言される。

高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。
力を振るって声をあげよ、
良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。
見よ、あなたたちの神、
見よ、主なる神。
彼は力を帯びて来られ御腕をもって統治される。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、
主の働きの実りは御前を進む。
主は羊飼いとして群れを養い、
御腕をもって集め小羊をふところに抱き、
その母を導いて行かれる。

第2朗読>>使徒ペトロの手紙

(2ペトロ3・8-14)

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。

だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。

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yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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