
【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される
諸聖人の説教=マタイ5.1~12a
2020年11月1日
一人で思う時があります。報道のあり方は、いったいどのようなあり方が、よりふさわしいあり方なのでしょうか、と。たまに、わたしたちに「考えさせる」内容が掲載されることがあります。結論ばかりを報道するのではなく、読者に問題提起をすることがあってもよいのではないかと思う時、事があります。いいですね。
先日、27日の新聞に「改正皇室典範は『違憲』」という見出しで掲載されていた内容は、個人的に改正皇室典範の成立に、何か違和感を感じていた人にとっては、一緒に考えてみようと思われた人がいるのではないでしょうか。(南日本新聞2026年10月27日朝刊)
さらに続けて言及されています。
また、他の有識者も述べています。
上記の問題のみならず、消費税減税の問題にしても、疑問の声があちらこちらから聞こえます。わたしたちの日常にかかわる問題だけに、国民の関心事になっていることは勿論の話です。先日の27日の衆院財務金融委員会で、参考人からの意見聴取と質疑が実施されました。その席で、参考人として招かれた、東京でスーパーを展開するアキダイの秋葉弘道社長は、減税に伴う値下がりに関して、
人間が考える政策には、みなが納得のいく、平等な、衡平な結果を期待したいのですが・・。とはいっても、わたしたちの現場においては、その実状はどうなんでしょうか。政策がうまくいかないと、その影響を、もろ受けるのはどうしても貧しい人々になります。低所得者であり、その家族です。
その貧しい人々の存在は、いつの時代もそうでしょうが、必ずと言っていいほどに、一生懸命生きようとしている人々が多いです。イエスの時代もそうでした。

今日の主日は、貧しい人々と神とのかかわりをテーマにしています。ご存知のように「心の貧しい者は幸いである」という言葉で、きょうの福音書は始まります。言うまでもないことですが、この個所は有名な山上の説教です。
かつてモーセを通してイスラエルの民に十戒が与えられたのは山でした。いま、イエスは新しいモーセとして山の上で新しい勧めと戒めを人々に説きます。
ところで、きょうは諸聖人の祝日です。聖人たちは、わたしたちと同じ人間性を持ちながら、それぞれの境遇、身分、風習の中にあって、それぞれ独自な方法でキリストの生き方、考え方を、自分の生き方、考え方にしようと精いっぱい努力した人たちです。そして、わたしたちの目には見えない神の何たるかを、つまり、神の憐れみや愛や知恵が、彼らの生き方に映し出されているのです。例えば、アッシジのフランシスコはイエスの清貧さ、ビアンネは痛快者へのイエスの憐れみを表し、ヨハネ・ボスコは子どもたちへのイエスの愛情を示し、殉教者は、信仰の忠実な証し人、キリストを体現しています。
イエスの新しい勧めと戒めを身に体した諸聖人は、聖パウロの次の言葉を実現したといえます。「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(コロサイの信徒への手紙1章24節)いわば聖人たちはキリストが、その短い宣教活動中に十分に輝かすことのできなかった精神的特徴を発展させたともいえるのです。
その上、彼ら聖人たちは「心の貧しい者」を代表しているといえないでしょうか。つまりは、悲惨な状態に置かれ、それらに圧迫されている人びと、生きるための力に恵まれていないという意味での貧しい人、権力や富に恵まれず、社会の中で自分を主張できず、できたとしても相手にされなかった人びと、人々からさげすみの対象になってしまう人びとなど、まさに、イエス・キリストを表現している人々です。
自分の弱さ、もろさ、やみを深刻に体験し、たたかいながら、神に向かうことは難しいことですが、今の時代に生きているからこそ、それを超える決断が必要とされています。徐々に短くても歩を前に、ひたすら前に、です。真に「幸いな人」といえるまでに・・。


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