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諸聖人:ひたすら前に、真に「幸いな人」といえるまでに・・

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諸聖人(A年)の説教⇒2026/11/01

【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される

諸聖人の説教=マタイ5.1~12a

2020年11月1日

一人で思う時があります。報道のあり方は、いったいどのようなあり方が、よりふさわしいあり方なのでしょうか、と。たまに、わたしたちに「考えさせる」内容が掲載されることがあります。結論ばかりを報道するのではなく、読者に問題提起をすることがあってもよいのではないかと思う時、事があります。いいですね。

先日、27日の新聞に「改正皇室典範は『違憲』」という見出しで掲載されていた内容は、個人的に改正皇室典範の成立に、何か違和感を感じていた人にとっては、一緒に考えてみようと思われた人がいるのではないでしょうか。(南日本新聞2026年10月27日朝刊)

「皇籍離脱した旧宮家の男系男子の養子縁組を可能にする改正皇室典範『門地(家柄)による差別』を禁じた憲法14条に違反するなどとして、漫画家の小林よしのりさんが26日、国を相手取り改正皇室典範の無効確認や損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。小林さんは『旧宮家という特殊な階級をつくることで、日本に新たな身分制ができるのは大問題だ』と主張している。」

さらに続けて言及されています。

「政府の有識者会議は2021年、皇族数の確保策として、約80年前に皇籍離脱した旧11宮家の男系男子を皇族として養子に迎えることを提言した。だが、事前のヒアリング段階で、宍戸常寿東大大学院教授(憲法)は『一般国民の中から男系男子に限定するならば、門地による差別に該当する恐れがある』と忠告していた。」

また、他の有識者も述べています。

「改正典範は養子本人に皇位継承資格を認めない一方、生まれた子孫が男子の場合は資格があるとした。鈴木准教授は『唐突で、納得するまでの時間があまりに足りない』とし『皇位継承の問題を扱うのであれば、女性天皇を含めてあらゆる選択肢を議論しないと不誠実だ』と述べた」と報道されています。

上記の問題のみならず、消費税減税の問題にしても、疑問の声があちらこちらから聞こえます。わたしたちの日常にかかわる問題だけに、国民の関心事になっていることは勿論の話です。先日の27日の衆院財務金融委員会で、参考人からの意見聴取と質疑が実施されました。その席で、参考人として招かれた、東京でスーパーを展開するアキダイの秋葉弘道社長は、減税に伴う値下がりに関して、

「『喜びは一か月ももたず、消費者が慣れてしまう』と強調。税率が戻る2年後に値上がりが意識されるとして、時限的な減税に懸念を表明した。アキダイは安さが売りの庶民派スーパーとして知られ、秋葉氏もメディアに積極的に露出している。減税に反対する野党が審議に招いた。秋葉氏は、最近の消費行動の変化について『価格への関心度や特売日への依存度が高まった。』と指摘。物価高が家計を圧迫しており、一時的な減税を不安視した。」と報道されています。(以上、南日本新聞2026年10月28日朝刊)

人間が考える政策には、みなが納得のいく、平等な、衡平な結果を期待したいのですが・・。とはいっても、わたしたちの現場においては、その実状はどうなんでしょうか。政策がうまくいかないと、その影響を、もろ受けるのはどうしても貧しい人々になります。低所得者であり、その家族です。

その貧しい人々の存在は、いつの時代もそうでしょうが、必ずと言っていいほどに、一生懸命生きようとしている人々が多いです。イエスの時代もそうでした。

諸聖人:心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである
諸聖人の聖書=マタイ5.1~12a 新共同訳聖書〔そのとき、〕イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

今日の主日は、貧しい人々と神とのかかわりをテーマにしています。ご存知のように「心の貧しい者は幸いである」という言葉で、きょうの福音書は始まります。言うまでもないことですが、この個所は有名な山上の説教です。

かつてモーセを通してイスラエルの民に十戒が与えられたのは山でした。いま、イエスは新しいモーセとして山の上で新しい勧めと戒めを人々に説きます。

ところで、きょうは諸聖人の祝日です。聖人たちは、わたしたちと同じ人間性を持ちながら、それぞれの境遇、身分、風習の中にあって、それぞれ独自な方法でキリストの生き方、考え方を、自分の生き方、考え方にしようと精いっぱい努力した人たちです。そして、わたしたちの目には見えない神の何たるかを、つまり、神の憐れみや愛や知恵が、彼らの生き方に映し出されているのです。例えば、アッシジのフランシスコはイエスの清貧さ、ビアンネは痛快者へのイエスの憐れみを表し、ヨハネ・ボスコは子どもたちへのイエスの愛情を示し、殉教者は、信仰の忠実な証し人、キリストを体現しています。

イエスの新しい勧めと戒めを身に体した諸聖人は、聖パウロの次の言葉を実現したといえます。「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(コロサイの信徒への手紙1章24節)いわば聖人たちはキリストが、その短い宣教活動中に十分に輝かすことのできなかった精神的特徴を発展させたともいえるのです。

その上、彼ら聖人たちは「心の貧しい者」を代表しているといえないでしょうか。つまりは、悲惨な状態に置かれ、それらに圧迫されている人びと、生きるための力に恵まれていないという意味での貧しい人、権力や富に恵まれず、社会の中で自分を主張できず、できたとしても相手にされなかった人びと、人々からさげすみの対象になってしまう人びとなど、まさに、イエス・キリストを表現している人々です。

自分の弱さ、もろさ、やみを深刻に体験し、たたかいながら、神に向かうことは難しいことですが、今の時代に生きているからこそ、それを超える決断が必要とされています。徐々に短くても歩を前に、ひたすら前に、です。真に「幸いな人」といえるまでに・・。

 

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