復活節第3主日(C年)の説教=ヨハネ21.1~19

2013年4月14日

寄り添うイエス新学期に入り、多くの方にとって新しい生活とともに、今までにない落ち着きのなさが気になっている方もいらっしゃるのでは、・・・。「落ち着きがない」ということは人を不安定にさせます。仕事が手につかないという現象が出てきます。逆に、「安心感」はその人を大きく見せてくれます。大人にとっても子どもにとっても、安心・安定は成長のキーワードではないでしょうか。

かつて、司祭への道を選択するかどうか岐路に立たされた時、「安定・安心」を選択の動機にしたことを思い出します。未知の世界に飛び込むよりも、今立っている現場が確かな安心できる世界であるということでした。これはいつの時代も言えることのようです。人間であることが変わらない限りです。

イエスさまの弟子たちもイエスさま亡き後、不安と心配に駆られ、やはり安心できる場所、環境を探しだしてガリラヤの地に戻ったのでしょう。エルサレムではなかったのです。そこは敗北とみじめさを感じさせる最悪の場所でした。ガリラヤに戻った彼らは、また、「魚」の漁師に戻っているかのようです。そこでまたイエスさまは弟子たちに出現なさいます。そして、大漁の魚が獲れる二度目の「しるし」を体験します。さらに、「わたしはあなたのためには、いのちも捨てます」とペトロはみなを代表して宣言します。

確かにペトロのこの言葉に嘘、偽りはなかったでしょう。しかし、究極の時には、イエスさまから逃げてしまったのでした。そのことを認めながらも、イエスさまご自身に「ごめんなさい」が言えないほどに、自分の卑怯さ加減にどうしようもなかったのでした。人であればだれもが完璧な生き方はできません。だからといって、諦めるのも問題ですが、大事なことは自分のミスを直視し、ゆるしを願い、もう一度立ち上がろうとする前向きな、向上心でしょう。

イエスさまはペトロに三度「わたしを愛するか」とお尋ねになります。ペトロが三度イエスさまを「知らない」といったからでしょうか。どうであれ、ペトロは悲しくなりながらも、答えます。「あなたはすべてをご存知です」と。イエスさまに直接「ごめんなさい」と言えなかったペトロにとって、このことばの中に、イエスさまへの謝罪の心を感じます。そして、ペトロは新たに使徒としての道に招き返されました。新たな「船出」です。