年間第28主日(A年)の説教=マタイ22・1~14
2017年10月15日
ある著書によると、子どもを伸ばすのは父親次第
「少子高齢化」が叫ばれて久しくなります。時間が経過したにも拘わらず、その対策も、現実的には実りの少ないままに、時が過ぎたのではないかと感じています。したがって、なかなか子どもの人口は増えないままに、新たな社会現象が起き始めています。地方都市の衰退です。人口の大都市集中傾向、地方都市の人口減退により、その町が町として成り立っていかない現象が起きています。行政そのものも、ままならなくなります。大げさな言い方になりますが、日本国の存亡に関係してくるやもしれない大問題になるのでは、・・。
子育ては大変ですが、子どもたちは、必ず将来の日本を背負っていく一人になっていきます。かつて、「頭のいい子が育つパパの習慣」(清水克彦著、PHP文庫)という本を読んだことがあります。著者の言葉をお借りしますと、「子どもを伸ばすのは父親しだい」ということだそうです。著者によりますと、青少年犯罪は、背景を調べてみますと、父親が子どもに対して過干渉だったり、逆に放任してきたことで起こる場合が多いといいます。
首都圏の難関私立中学合格者家族への調査結果から
ここに一つのデータがあります。子どもが首都圏の難関私立中学校に合格した100家族を対象に実施した独自調査の結果です。子どもを伸ばす=難関中学校に合格させること、ではありませんが、少なくとも激戦を勝ち抜くだけの学力を身につけさせたたことも、子どもを伸ばした成果と考えることができると著者は言います。そこで、各家庭でどんな風に子どもに接してきたかを読み取って欲しいといいます。
次の設問をしてみたということです。
家庭で子どもと接する場合、特に何か気をつけてきたことはありますか?
- できる限り、親子で話をしながら食事をとることを心がけた。・ ・・68家族
- 新聞やニュースを見ながら世の中の出来事や仕組みについて会話をした。・・・54家族
- 社会や理科は実生活から学ばせたいと考え、見学や観察を生活に取り入れた。・・・39家族
成果を上げた家庭では、規律ある生活の中心に父親がいた
他にも項目はありましたが、これらを見れば、どの家庭も、親子の対話を重視し、さまざまな体験を踏ませ、規律ある生活を大切にしてきたことがうかがえます。その中心にいたのが父親だそうです。母親の証言もあります。「塾や学校でつける力だけではなく、父親が社会の動きなどを息子に話してくれたことが大きかった」、また、「父親が娘に学習する楽しさを教え、机に向かう習慣をつけてくれたことが合格につながった」と。
堅い言い方をしますと、ものには、本来「あるべき姿」というものがあります。それが何かの理由によってゆがめられたとして、それがそのまま正されることなく進行したとすれば、正されなかった姿が「あるべき姿」と化してしまいます。そして、そのまま引き継がれていくのです。
人のあるべき姿は、品格と賢明さを具えた個性
人間の育ちにおいても同じようなことが言えないでしょうか。育ちの過程において、「しつけ」のみが過大評価され、あまりにも形にこだわりすぎて、「その人らしさ」が備わっていく育ちの過程が無視されているのではないでしょうか。中でも、人として特徴ある姿の一つに、品格、賢明さがあります。何とも言えないその人の「味わい」、個性が出てきます。それは日常の普段の生活現場で培われ、育っていきます。それが「いざ」という肝心な時に発揮されていくのです。
今日の福音ではそのことが見事に描かれているように思えるのです。地上の現実ばかりに心が奪われていますと、肝心な時にヘマをしでかします。「礼服」を身につけないのです。他者との関り、多くの方々との関係性、そこから生まれる環境に対するその人なりの感性、すべて日常の生き方の中で養成されていきます。
信仰者としての歩みも同じです。日常の、普段の生活現場で信仰のセンスが備わり、成長していきます。福音の中で王からの招きを拒絶する人、礼服を身につけない人に共通することは、品格と賢明さの無さではないでしょうか。断り方があるでしょうにと思います。
普段の生活の中で信仰のセンスを備えていきたい
わたしたちも日々、神からの招待を受けています。その招きをお受けできる「わたし」でいるでしょうか。洗礼を受け、ミサにあずかり、神との交わりに招かれているとはいえ、形だけに終わっていないでしょうか。「わたし」個人の救いへの願いが、周りにいる「わたしたち」に広がってこそ、自分自身の「信仰センス」が育っていくのではないかと思うのです。
「わが子」の育ちは、社会の「みんな」のお役に立つのです。全人類共同体の根幹をなしている現実でしょう。大事にしたい考え、感性ですね。
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