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年間第16主日:神が一番喜ぶことは、愛にあふれたおもてなしです

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年間第16主日(C年)の説教=ルカ10.38~42

2016年7月17日

神のぬくもりお客を接待することはなんと大変なことなのか、誰もが経験しているごく普通のことです。おもてなしの在り方で、商用がうまくまとまったり、破綻したりと、重要な位置を占めているのは確かなようです。

先日タクシーに乗って運転手さんと話しこんでしまいました。何の話かと言いますと、それこそ「今どきの若者」について。
辿りついたところは、「日本人らしさ」がなくなってきたのではないかということです。日本流の礼儀正しさ、作法が影を潜めてきたのではないか、という嘆き節で終わりました。若い人みなさんがそうだというわけではありません。日本人全般についてどうなんですかね、と悲観的になってしまったのです。

人は、それぞれに、他者には言えない悩み事、心配事をその内側にもっています。だからこそ外見上は見えにくいのです。そこから誤解が生じたり、無理解になったりと、人間関係がぎくしゃくしてきたりします。

今日の福音のマリアとマルタの場合も、二人の見えない世界での行き違いがマルタに焦りを募らせたのではないかと思えるのです。

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「必要なことはただ一つ」というイエスさまの言葉は、何を言わんとしているのでしょうか。それは、神が一番喜ぶであろうことは一つである、ということのようです。つまり、愛にあふれたおもてなし。マルタに愛がなかったということではなく、その愛の心で、マリアの見えない心の世界を、みつめてあげることではなかったのかということでしょうか。

マルタのそうした行動は、目に見えるおもてなしと見えないおもてなしが「愛」で覆われたものになっていたのではないでしょうか。

わたしたちの周りで共に生活している人々の心のうちを受けとめ、いたわり、配慮する心こそ、神が喜ばれる一番の出来事でしょう。「今どきの若者」についても、その中身が見えないからこそ、「先取りする」配慮が大切なのでしょう。こうして、若き人も年を重ねた人も、さらに成長していくのでしょうね。

縦の糸と横の糸がうまく折り重なって丈夫な美しい布になっていくように、人の成長も同じようなことが言えるのかなと感じています。だから、若者と年配者が必要なのです。

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