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年間第15主日:自分の方から隣人に近づいていくことこそ大事

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年間第15主日(C年)の説教=ルカ10.25~37

2013年7月14日

寄り添うイエスある日、地方の道路を車で走っていました。わたしにとっては不思議な(?)広告版を見つけました。「納骨堂ご利用希望者を募集しています。宗派を問いません。○○寺」というものです。

わたしの母の田舎は東本願寺です。亡くなった後もやはり東本願寺の自分のお墓に入る、とえらいこだわりがあったことを思い出しました。仏教界ではなくなった後も宗教にこだわるのかと思ったことがあります。

わたしたちの宗教では、生きている間は信仰が必要だが、亡くなった後に残るのは愛だけであるという信仰です。

わたしにとって不思議だったのは「宗派を問いません」という表現でした。最近では仏教界でも一致の運動が始まっているのかなという印象を受けたからです。門徒の、信徒の奪い合い(?)ではなく、救いを、幸せを語りあえる仲間が一つになることは、地球上の人々が幸せになることにつながります。

幸か不幸か、人はどうしても利己的になっていく自分を感じ、意識しています。時代を超えて、場所を超えて万人が苦慮していることです。そのような自分と対峙することの中に、「隣人愛」の意味と実践行動が見え、わかってくるような気がします。

今日の福音は、隣人が自分に近づいてくるのではなく、自分が隣人に近づいていくことこそ大事であり、イエスさまが勧める「あなたも同じようにしなさい」ということの意味であるように思います。

ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世教皇がともに列聖されるという、喜ばしいニュースが舞い込んできました。カトリック教会が自ら社会に入り込んでいく契機を作られた(第二バチカン公会議)教皇と、改革された教義内容を人びとに実践して、教会と社会を豊かにしてくれた教皇が、ともに列聖されるとは嬉しい限りです。

このお二人の中に共通して流れているものは「隣人愛」ではなかったでしょうか。自らの世界から出て、相手の世界に入り込んでいきました。ヨハネ・パウロ2世は世界各地を訪問し、信徒を励まし社会人として、信仰者としての生き方に大きな勢いを与えてくれました。

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つまり、お互いが「隣人になっていく」ことに、敵も見方も無いよと、今日のイエスさまはおっしゃいます。半死半生の人の隣人になった人が、当時、敵視されていたサマリア人であったことはこのことを指し示しています。そして「利己心」も克服されていくのでしょう。行動に結びつくあわれみを大事にしましょう。

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