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待降節第1主日:神を父と呼び、人々との絆は「父子関係」の認識

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待降節第1主日(B年)の説教=マルコ13.33~37

2011年11月27日

主との出会い

わが国、日本にとりまして、国民にとって、「今年」という一年は忘れられないできごとで満たされた年になりました。いうまでもなく、3月11日の東日本大震災です。その後遺症はいつまで続くのでしょうか。当事者の皆さんにとりましては、今もなお、耐え難い、苦しみの連続であり続けています。

それでも、大変な苦労をかかえながらもよく耳にしたことに、「絆の大切さ」があります。家族の絆、友人との絆、地域の人々との絆、親子の絆等、忘れかけていたかもしれない目に見えない大事なものが、見えるようになったということでしょうか。こうした悲惨なできごとがやってくるなんて誰が予測したでしょうか。そして、このような時のために備えをしなくては、という気持ちになっていきます。

誰にも「運命的な時」というものがあるのでしょうか。しかし、あったとしても誰にもわかりません。だからこそ、日々の積み重ねが、それが微々たる、些細なことであっても、大事にしてこそ「その時」を迎えることができます。そのことを今日のイエスさまは、福音を通してわたしたちに話されます。

その時とは、「救いのとき」です。旧約のイスラエルの人々にとって、この時は必ずやってくるという確信がありました。いかに絶望的な状況になったとしても、この確信は揺らぐことがなかったのです。この「時」が自分たちの時代に来なかったとしても、子々孫々に語り継いでいったのでした。これが彼らの生きた信仰の伝授でした。

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それが現代に至るまで受け継がれてきたのです。その核心にあったのが神との関係です。その関係とは神を父と呼び、人々との間が「父子関係」としての認識でした。いわゆる親子関係です。切っても切れないかかわりが生じます。父として子を見捨てることはできないのです。そこに人々のたしかさがありました。

今のわたしたちにとって、神とはどのような関係にありますか。神との絆はどんなものでしょうか。よりよく生き抜くためにも、典礼暦の始まりにあたり、新たな心でながめてみたいものです。今日から待降節が始まります。

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