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年間第32主日:「やもめの献金」は生活費を全部入れた

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年間第32主日(B年)の説教=マルコ12.38~44

2012年11月11日

主との出会い

子どものころを思い出します。毎朝、父親に起こされ、母親に途中まで送ってもらって教会のミサに参加していました。子ども心にわくわく感がありました。好きな一つのことができればよかったからです。そして、それができていたのです。その上、予測もしないプラスαのいいこともありました。それが何であったかは、ここではお話しできませんが、確かにわたしの行動をその方向にそそるだけの魅力ある毎朝でした。

そして、日曜日には賽銭箱に入れなさいと現金を渡されたものです。せいぜい10円くらいだったでしょうか。正確な額は記憶にありませんが、意識的に献金していたわけでもないのに、記憶に残っています。今思えば、あの時、親が「献金はこれこれだから捧げものとしてあげるんだよ」と言って、献金の真意を話してくれれば、よかったのかなとも思いますが、・・・。

献金することは、信仰行為であることに、昔も今も変わりはありません。なんと、イエスさまの時代からあったのです。今日の福音には「やもめの献金」のはなしが紹介されています。神殿に参拝した人は、お祈りをして賽銭箱に献金を入れます。こんにちの日本でもよく見られる光景です。

献金の額によって祈りがかなえられるかどうかは分かりませんが、イエスさまによると、それは関係ないような印象を受けます。レプトン銅貨2枚入れたやもめは、イエスさまから賞賛されているからです。日本のお金にしますと、20円か30円だそうです。このやもめがだれよりもたくさんの献金を入れたと、イエスさまは弟子たちに断言なさいます。

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「この人は、乏しい中から自分のもっているものをすべて、生活費を全部入れたからである」と、イエスさまは言われます。つまり、高額を入れたのではなく、彼女の地上での生活全体を神にゆだねたからだといわれます。やもめの献金の行為は、彼女の生活全体が神にささげられていることを見せるしるしとなっていたのです。そこには、もはや、人の権威は不必要です。律法学者の求める権威は意味をなしません。

贈り物をするときは、「自分がしてほしいこと、もの」を差し出すことが大事なんですね。仮にそのものが高額な品でなくとも相手には通じるのではないでしょうか。さて、今日はどのような「献金」を差し出しましょうか、・・・!。

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