2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光 復活の主日:イエスの死は、わたしたちを神につなぎとめた イエスは、自らが死ぬことでわたしたちに近くなったのです。別の言い方をすれば、「神との関係を断つ死を、つなぎとめている」のが、イエスの死です。 2024.03.29 2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 復活の主日:主の復活を信じた最初の者・ヨハネは、空の墓で何を見たのか ヨハネは空になった墓を見たのですが、実は、さらに彼の眼前の光景の奥に潜んだ「もの」を見て(洞察)いたのです。そして「信じた」のでした。イエスの愛をヨハネはその時に感じたのでしょう。 2023.04.08 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
2022年/C年説教=弱き者を救う神 復活の主日:イエスは、今なお、この瞬間の「わたし」の傍におられる 過去の悲しみにつつまれた闇の心を喜びに変え、絶望に満ちた心を希望で満たし、生きる力をわたしたちの心にみなぎらせるのがキリストの復活です。希望に反する状況にあってもなお、希望し続ける勇気、元気を与えくれるのが復活の信仰です。 2022.04.15 2022年/C年説教=弱き者を救う神
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き 復活の主日:イエスの復活は、バリア(幕)のない教会づくりの力 復活の祝日は、お互いの間を隔てている「幕」を取っ払い、さらに広く、分け隔てのない新しい共同体(教会)の誕生へと駆り立てる、内的エネルギーにしていきたいものです。 2021.04.03 2021年/B年説教=新しいいのちの輝き
2020年/A年説教=応えていますか、いつも 復活の主日:今年もなお、「わたし」に語り掛ける神をどこに感じていますか イエスの十字架と復活が、「わたし」が生きるための血となり肉となっているでしょうか。ペトロのように自分の弱さ醜さに目覚めれば目覚めるだけ、主の復活のありがたさがわかってくるのではないでしょうか。 2020.04.10 2020年/A年説教=応えていますか、いつも
2019年/C年説教=召ばれています、いつも 復活の主日:復活の魅力は、どんなことがあっても「信じる心に向かう力」 どんな辛さの中にあっても、その状態は意味があって、無駄に終わることはないという確信、信じる心が大事です。この信仰は、父なる神がわたしたち一人ひとりを心に留め、しっかりと面倒を見てくれているという確信から育ってきます。 2019.04.19 2019年/C年説教=召ばれています、いつも
2018年/B年説教=神への道標 復活の主日:イエスの復活は救いの保証。それはすべの人に開かれている イエスさまの死と復活は、全人類のために、どのような差別もなしに、わたしたち一人ひとりをつつみこんでくださる神の温かい招きであり、わたしたちの救いの保証です。 2018.03.30 2018年/B年説教=神への道標
2017年/A年説教=神のふところ 復活の主日:イエスの十字架と復活の出来事を「わたしの体験」にしたい 「イエスの十字架と復活の出来事」が、人間の救いにとって決定的な意味と力をもった出来事である、という「わたしの体験」になってきたとき、キリスト者としての誕生(洗礼)となります。そして、その出来事に込められている神のやさしさと愛、恵みと力の証人ともなっていきます。 2017.04.14 2017年/A年説教=神のふところ
お知らせ 復活の主日の聖書と説教は金曜日21:00に公開されます 今週の聖書と説教は通常、木曜日の18:00に公開していますが、今週に限り、金曜日の21:00に公開いたします。ご了承ください。今年のカトリック教会の復活の主日は3月27日(日)です。 2016.03.23 お知らせ
2015年/B年説教=イエスのこころ 復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。 2015.04.02 2015年/B年説教=イエスのこころ
日曜日の聖書 復活の主日/イースター:マグダラのマリアは墓から石が取りのけてあるのを見た 復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。 2015.03.29 日曜日の聖書
2014年/A年説教=神のたしかさ 復活の主日:マグダラのマリアの関心が「遺体」だったのも無理からぬこと 彼女にとって、イエスさまは、その人生を転換できる大きな契機をくださった方です。それこそ彼女にとっては「かけがえのない」方でした。だから、せめてご遺体を求めたのでした。イエスさまを思い出し、自分を律していくための力となると思ったのでしょう。 2014.04.17 2014年/A年説教=神のたしかさ
2013年/C年説教=寄り添うイエス 復活の主日:復活の核心は苦しみ、悲しみのきわみの果てに 主の復活(C年)の説教=ヨハネ20.1~92013年3月31日 ものごとの変化、成長は、その周囲の環境に影響されていきます。わたしたち人間も例外ではありません。嬉しいことがあれば、それが他者の慶事でも、自分までもが楽しくなってきます。逆... 2013.03.29 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 復活節第3主日:主の復活は、人間の尺度を超えた「救い」の道を示した イエスは人間の尺度でしか考えられず、判断できない弟子たちの心を嘆いておられるのです。今もなお、イエスはわたしたちにそっと語り掛けています。「わたし」はイエスが示された新しい「はかり」に気づいているでしょうか? 2023.04.20 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
2016年/C年説教=神のぬくもり 復活祭:主の復活は絶望の中に希望を湧きあがらせてくれる 年老いてもなお、周りの人に元気とやる気を与え続けられるひとも、その人なりの「復活」と言えないでしょうか。年齢を重ねて、その年齢にあった魅力を、新たに生み出しているのです。 2016.03.25 2016年/C年説教=神のぬくもり
826ブログ 【カトリック教会の典礼暦】2016年の復活祭は3月27日 復活祭を中心に毎年移動するカトリック教会の移動祭日についての情報と、カトリック典礼の頂点である「主の復活」の聖書やメッセージ(説教)のリンクを掲載しています。 2015.12.26 826ブログ