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主の昇天は、イエスが私たちに託された使命に目覚める転機

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主の昇天(C年)の説教=ルカ24.46~53

2016年5月8日        

神のぬくもり歴史には時々の節目があり、転換期があります。そして、それに影響を及ぼした人、出来事が存在します。我が国日本においても、そのような人がいます。これに関しては、個人の感性の違いがありますので、絶対的な言い方はできませんが、人の世界では「時」がそれを決めてくれることもあるのかなと感じております。

最近、石原慎太郎氏が書き下ろされた「天才」という本があります。お読みになった方もいらっしゃるかと思いますが、かなりの人気があるやに聞いております。著者が曰く「この歳になって田中角栄の凄さが身にしみた」ということです。凄さの一点は、「戦後日本の社会基盤を築いた圧倒的な生涯」にあるということができるのでしょうか。賛否両論あると思います。しかし、影響力があった存在者であるということはできるでしょう。

国、事の中身を問わず、時代を超えて、地域を超えて言えることのようです。イエスさまの時代、イエスさまご自身が、その生きている生活の中で、すでに影響力のある存在だったのです。元気に宣教して回っているとき、イエスさまの受難において、ご復活において、その一挙手一投足が気になる存在でした。同時に、弟子たちをはじめ、多くの人々の生き方に多大なる影響力を与えていたのです。

今日の出来事は「昇天」です。弟子たちとその他のユダヤ人にとって、新しい「教会」の誕生を告げる出来事です。弟子たちがみている前で、イエスさまは天にあげられていきます。つまり、「神の世界」に移っていかれたのです。今までと同じように肉眼の目でイエスさまと出会うことはできなくなりますが、「信仰の目」で見つめることはできます。だから、イエスさまは「信じなさい」と繰り返されるのです。

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今日の出来事は、イエスさまがいつまでもわたしたちとともにいたいために、天にあげられるのです。そして、わたしたちの方としては、いつまでもイエスさまの助けを待ち続ける姿であってはいけないのです。「ガリラヤ人よ、なぜ天を見つめて立っているのか」。イエスさまに慰められることを求めて、この世での仕事から逃げてはいけません、と言われているかのようです。「地の果てまで、あなたがたはわたしの証人となる」仕事が待っているんですよ、と言われます。

そうです。わたしたちは例外なく、「信仰の目」で見たことを語り継ぐあかし人なのです。そして、お互いの生き方の「転機」となるような存在者になっていきたいです。

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