年間第16主日(B年)の説教=マルコ6.30~34
2012年7月22日
「就職氷河期」を過ごすこと久しくなります。働く喜びは、その人を人として大きく成長させ、魅力的な雰囲気を醸し出してくれます。そして、その人の個性が出来上がっていきます。喜びは、働く喜びであったり、欲しいものが手に入った喜びであり、会いたい人に会えた喜びであったりと、様々です。いずれにせよ、その喜びが次の段階に進んでいく活力になることは間違いありません。
しかし、その喜びの中に浸りきってしまうともったいないよ、と今日のイエスさまはわたしたちに呼びかけられます。特に、働いた後は体力も気力も、働く以前よりは消耗しています。それを補給しないといけません。喜びに浸りきっているとその作業ができなくなります。
喜びの絶頂にあった弟子たちにとって、「自分たちだけで人里離れたところにいって、しばらく休みなさい」というイエスさまのことばは、やる気をそいでしまうような気さえします。そこが肝心なのです。つまり、自分自身を見失ってしまう危険と背中合わせなのです。そこに気づかせようとしてイエスさまは、イエスさま流にやんわりと弟子たちにことばをかけられるのです。
それは同時にイエスさまの「証人」としての働きをするうえで、もっとも根本的に要求される事柄でもあります。いい仕事にのめりこんでいく姿は、人として本能的な行動でもありましょう。しかし、真の使徒職は、原点がその人個人の喜びにあるのではなく、神の深みに触れるところにあります。「人里離れたところ」とは、日常性から引き離されたところです。日常の環境で神の深みに触れることができれば最高です。でも、現実はなかなかですよね。だから、人里離れたところに誘われたのでした。
何物にも邪魔されないで神との出会いが実現するように、心の「ガソリン・スタンド」に立ち寄りましょう。新たな勢いをいただき、証の現場に登場いたしましょう。
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