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年間第3主日:漁師たちはなぜ、網や家族を捨ててイエスに従ったのか?

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年間第3主日(B年)の説教

2024年(B年)説教の年間テーマ=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第3主日(B年)の聖書=マルコ1・14~20

2024年1月21日

我が国の人口減少の流れは、容赦なく勢いが増している感じがします。少子化問題が言われてから長い年月が経っていますが、ここにきて、わたしたちの日常生活の中で、そのひずみを感じ始めているのではないでしょうか。

歪みが出始めた人口減少問題は未だ手つかず?

このことについては、かつて、日本創生会議の増田寛也氏らが警鐘を鳴らしていました。

日本創成会議は、東日本大震災からの復興を新しい国づくりの契機にしたいとして、2011年5月に発足した民間の政策発信組織です。座長は増田寛也前岩手県知事で、政治家や官僚、大企業役員、大学教授などから構成されています。日本創成会議は人口問題やエネルギー問題、地方活性化、グローバル都市などについて政策提言を行っています。消滅可能性都市とは、若年層の流出やそれによる人口の減少・少子化によって、存続することが出来なくなり、最終的には消滅してしまう市区町村のことであり、日本創成会議によって指摘された問題です。全国の市区町村のうち、半分近い都市が2040年までに消滅する可能性があるとされています。(ac1.co.jp参照)

日本創生会議が提言している「消滅可能性都市」が、今や出現してきたかなという気もします。その小さな兆しが、各地区における学校閉校の連続ではないでしょうか。閉校を前にイベント乃至はその他の記念企画が計画されている話題がよく新聞記事として掲載されています。先日も同じニュースを紙上で目にしました。南さつま市の内山田小学校です。(南日本新聞2024年1月15日朝刊)

本年3月末で閉校となる南さつま市の内山田小学校に温存されていた古いグランドピアノが内山田地区公民館に移されたという話です。このピアノは、かつての卒業生二人が寄贈した貴重なものでした。というのは、1937年に同校の講堂が落成した際に、アメリカのカリフォルニアで成功した西金治さん(1903年~1998年)、海蔵さん(1906年~2008年)兄弟が、養豚業を経営し、大牧場に10万頭以上を肥育するまでになったのでした。ピアノは(ヤマハ製)、その二人からの贈り物でした。

内山田地区の松木田ヒモ子館長(78歳)は同校に通っていたころピアノに親しみ、教師として赴任した時も弾いていました。「子どもながらに自慢のピアノだった。教員時代にもお世話になり思い入れは深い。子どもたちが学校帰りに弾けるような環境ができれば」と語っています。

少子化並びに人口減少が叫ばれて長い年月が過ぎてしまいました。が、それに対して、具体的な対策がなされてきたのかといえば、「いいえ」としか言いようがないのではないでしょうか。天野馨南子さん(あまのかなこ・ニッセイ基礎研究所人口動態シニアリサーチャー52歳)が意見を述べられています。(讀賣新聞西部本社2024年1月16日朝刊)

「少子化対策はまず婚姻増。・・・企業が果たす責任や役割も大きい」と前置きしながら、次のように述べておられます。「子育て支援さえ強化すれば結婚してもらえるのではないかというのは甘い考えです。未婚化対策は福利厚生強化の話ではなく、採用と人材育成変革の問題なのです。女性を雇用し、男女の賃金格差をなくさなければいけません。税金なくして社会保障制度を持続させることはできません。増税や社会保険料での負担増を議論する前に、人口の半分を占めている女性の生産性=納税力を高める諸策を早急に打つべきであり、それこそが、若い世代が最も理想としている両立共働き夫婦の姿をつくるのです」と。

人口減少は教会内にも深刻な問題を引き起こし

人口減少の始まりと同時に、教会内でも受洗者の減少、司祭・修道者の召命激減が始まったのではないかと思っております。それは今もなお、尾を引いていますし、とても深刻な問題でもあります。

人の世界では、「深刻な出来事・問題」が起きるのは普通のことですが、イエスの時代にもありました。イエスが宣教を始め、最初の弟子をお召しになる今日の福音で、そのことを垣間見ることができます。洗礼者ヨハネが捕らえられたのです。ヨハネの捕縛、それは、当時の人々にとっては重大事件でした。ただでさえ暗い重い雰囲気の社会にあって、一筋の希望を抱いてその話に聞き入っていた人たちにしてみますと、絶望感を与えることでした。ヨハネは人々の心の情熱を燃え上がらせる力を持っていました。それだけに、ヨハネの捕縛は人々の心にどうしようもない失望感を引き起こしてしまったのです。

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そこにイエスが登場するのです。「救いの時が満ちた」とイエスは告げます。これまでも預言者たちはこの時を告げてきたのですが、満たされないまま、この時まで待ち続けてきたのです。信頼し、希望してきたのです。ついにその時が「満ちた」のです。もう待つことはありません。今からは「待つ」ことではなく、「懸ける」ことなのです。

イエスの呼び出しは「わたし」の生き方の転換

今日の福音で、弟子たちが網を捨て、舟を捨てて、イエスについていったという話の意味がここにあります。イエスが来てくれたことによって、待つ信仰から、この瞬間、あの瞬間に愛の心をかけて与えていく信仰に変えられてきたのです。このことは、わたしたちの生き方の転換であります。

イエスからの呼び出し・召命、これはとりもなおさず「わたし」の生き方の転換ですが、その本質となるのが神の介入であるとなれば、網や家族を捨てるのが最重要ではないことになります。何を捨てるかは二次的なことであって、何かを捨てたくなるほどに神に「見られてしまい、呼ばれた」ということが肝心なことになります。「見られてしまい、呼ばれた」ということが弱くなるなら、捨てたものが惜しくなることなので、召命は生涯を懸けて暖め続けていくものだとわかります。いずれにしても、どのような召命・生き方であろうと、その生き方に優劣はありません。

人口の減少は、わたしたちの生き方にも大きく影響してきます。人口減少の問題点を探り、同時に、信仰の仲間も増えるように働き、願い、祈り続けましょう。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

 

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