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年間第5主日:自信がある領域でも謙虚に受け入れたぺトロに学ぶべきこと

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年間第5主日(C年)の説教

2022年(C年)説教の年間テーマ=「弱き者を救う神」

年間第5主日(C年)の説教=ルカ5・1~10

2022年2月6日

寝ても覚めても、新型コロナウイルスの感染騒動から解放されません。今や、新たなオミクロン株の感染が急拡大しています。ついに、1月27日には、全国34都道府県に「まん延防止等重点措置」が適用されました。

PCR検査を受ける人が急増中!その思いとは

「不安抱え人の列」「身近な人が感染した」「迷惑かけたくない」。新型コロナ感染に対する一人ひとりの思いの重さに、それぞれ違いはあっても、だれもが望んでいることは、「新型コロナに罹りたくない」ということでしょう。心身ともに「健康で、元気でいたい」ということではないでしょうか。

鹿児島市の無料のPCR検査場は、家族連れや県外から帰ってきた県民が次々と訪れているといいます。検査場を訪れた人は、それぞれの不安を抱えた人たちです。「糖尿病の持病があり、念のために来た」「ワクチン接種も含め安心を重ねられたら」と語っています。

何も年配の方ばかりでなく、若い人も中にはいます。鹿児島大学4年の男性(23歳)は、寮の隣室の学生が感染したために検査に来たのだそうです。「バイト先にも連絡しないといけない。一週間は部屋に閉じこもるしかない」とつぶやいています。また、県外から移動したばかりの女性(20歳)は、「感染したと後からわかるよりは対策がしやすいかも」と期待をにじませて語っています。

さらに、陽性者が出た保育園、他の職場の関係者は、それぞれに「はっきりさせたいと思った」「中学生の子どもや実家で暮らす90歳の祖父母もいる。自分だけの問題ではない。周りに迷惑をかけたくない」との事情から、検査に来ています。

2年余の”コロナ体験”何を学び、成長したか?

パンデミック状態から丸2年が過ぎましたが、人類は紀元前の昔から、さまざまな感染症と戦ってきたと言われています。原因も治療も十分に確立されていなかった時代には、感染症のパンデミックは歴史を変えるほどの影響を及ぼしてきたのです。感染症をもたらす病原体や対処方法がわかってきたのは、19世紀後半になってからで、その後、感染症による死亡者は激減したと言われています。(日経BP社) 

2年余りの、非常に喜ばしくない「新型コロナウイルス感染症」の体験から、わたしたちは何を学び、成長してきたのでしょう。コロナの変異株の特徴に合わせて、その対策にも変化が加えられてきたように、わたしたちの日常生活の過ごし方にも、成長があるのではないでしょうか。ひょっとして気づいていないだけなんじゃないですか。単に外的な変化だけでなく、内面の変化、成長もあるのではないかと思いますが、・・。その変化を自分の中に見つけてみましょう。意識して味わってみましょう。

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きょうの福音書の話は、ペトロの召命に関するものです。

ペトロの召命に照らし合わせ、自分を顧みる

わたしたちも、今の一人ひとりが従事しているその任務に召し出されているのです。当たり前のことですが、一つ一つの仕事、任務に優劣はありません。

自分が目指した仕事に就けた人、そうでない人がいるでしょうが、所詮、人の考え、思いは、その生きている環境に左右されがちです。さらに、生活していく中で、自分に合った仕事、任務が、目指したもの、こととは違っている、いたことに気づかされる人も少なくないでしょう。

とはいえ、誰でもその仕事を果たしながら、自分は完璧にやれたと思っても、別な人から見たとき、違った見解を知らされたこともあるのでは、・・。そうした経験が続いた人にとっては、その度に、自らの限界を感じ、やる気を喪失てしまうのではないかなと思ってしまいます。そして、いつの間にか自信を無くし、自暴自棄になってしまうことも、・・。

きょうのペトロもそれに似た心境だったのかなと思ってしまいますが、そこにイエスが助け舟を出します。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と。ペトロは漁の専門職に長年従事し、漁の何たるかを熟知しているプロです。その上、一晩中の漁で疲れ果て、その上、何も取れなかったという「オマケ」付です。人間としての力の限界をいやというほどに知らされた一晩だったのです。ペトロはそのことを告白します。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えたのです。

プロでありながら素人の言葉に従ったペトロ

万策尽きた状況を告白しながらも、ペトロはイエスにゆだねるのです。イエスに希望を置いた、いわばペトロの信仰告白です。そして、一晩中かかって、何も取れなかった同じ場所で、今度は喜びの成功を勝ち取るのです。それはペトロの力ではなく、イエスの力です。こうして、ペトロは神の力を、恵みを身をもって体験するのです。それは、イエスを神の次元の存在者であることを、ペトロに知らしめるのです。「シモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』」と言って告白します。イエスが普通の人間ではないことを悟り、そのイエスと席を同じくすることなど、到底できないという心のあらわれです。

ペトロは一つの体験によって、イエスに従っていく選択をします。明らかに以前とは違った変化、成長がペトロの中に起きています。彼自身の存在そのものに関わっているのです。

わたしたちも、コロナ感染対策を体験しながら、「いのち」のありがたさを、尊さを、すばらしさを、今一度、振り返ってみてはどうでしょう。より具体的に。

「わたし」という一人間の存在そのものが、いつも問われているのです。

いつまでも弱さを持ち続けていながらも・・です。

 

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