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年間第32主日:決定的な未来の時に備えよう!神と人との繋がりを基本に

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年間第32主日(A年)の説教

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

年間第32主日(A年)の説教=マタイ25・1~13

2020年11月8日

「価値観押し付けないで」「通信制在籍心の支えに」「社会のありよう映す鏡」。こうした見出しが飛び交うコラム記事がありました。(南日本新聞2020年11月4日朝刊)

一人ひとりの生徒が自己表現できる力を育める教育現場を目指そうと、鹿児島県内の教員や保護者らが鹿児島市で研修会を開いています。この会で吉竹資英教諭(49歳、開陽高校)が登壇し、講演なさっています。生徒から学んだことを語っておられます。

「偏差値」を評価の基準にしていないか

講演の中で、通信制課程で学ぶ生徒や家族との関りを通し「大人や社会の当たり前が生徒を追い詰める。価値観を押し付けないで」と訴えています。赴任当初、全く学校に通っていない生徒がおり、直接顔を合わせれば生徒が変わると考え、家庭訪問を始めたそうです。しかし、そう簡単にはいかないことが分かったのです。ある生徒などは体調を崩したまま10年以上学校に行けずにいたんですが、そのお母さんが曰く、「全く学校に行けていないが、息子にとっては生徒であることが『社会とつながっている』と感じているようだ」と聞かされて反省したといいます。

わたしたちは、ともすると、生徒や家族の詳しい事情も知らないままに、どこかで、「学校へ行けない子はダメ」と決め付けてはいないでしょうか。吉竹教諭は、通信制高校は「学校に在籍しているだけで生徒の心の支えになっている」という役割があるということに気づかされたといわれます。

また、もう一つ気を付けるべきことがあると言われます。「子どもの心のありようは、大人や社会のありようを映し出す鏡」であるということです。学校に通っている我が子を持つ親御さんにしてみますと、「偏差値」が我が子の評価の基準になっていないでしょうか、吉竹教諭は訴えます。つまり、その評価が子どもたちの価値観に影響し、子ども同士のお互いの差別意識につながっているのではないかと危惧されるのです。

人は「生きざま」を見せることこそ大事

結局のところ、「差別観」「いじめ観」は、わたしたち大人が「我が子」に、他の「子どもたち」に見せている、ありがたくない「人生訓」になっているのではないでしょうか。だからこそ、「子育て」で大事なことは、大人の言葉(表現)もさることながら、もっと強烈なのは「生きざま」を見せているという現実に気づき、配慮していくことではないのでしょうか。完璧は無理でしょう。しかし、少なくとも「努力している」姿は子どもたちに通じるのではないか、と・・・。

その際、それまで生きてきた中での「生きざま」が、いざという時に吉と出るか凶と出るかによって、その人が、「いのち」をどのように評価しているか、してきたかが見える(分かる)のだと思います。これこそ「生きる」こと「いのち」そのものに対する価値観です。もはやその時に、にわかしのぎはできないでしょう。

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今日の福音書に出てくる10人の乙女たちの話ですが、常日頃から、非常時の際のありようを心している乙女とそうでない乙女の違いが出ている話といえます。5人の乙女たちの愚かさは、まさに、油の必要性に気づいていなくて、「油の用意をしていなかった」(3節)ことにあります。いざというときに、それまでの生き方が何の力にもなりません。かえって失望させられるのです。人生のどん底に追いやられます。

現実に惹かれ、決定的な未来を失うな

この愚かな乙女たちのしたことは、今のわたしたちにも無縁とは言えないのではないでしょうか。すなわち、目の前の現実の魅力に惹かれてしまい、その先にある素晴らしいことにも気づかないのです。仮に、分かっていたとしても、今の楽しさや安らぎの虜になってしまいがちなのです。わたしたちは現実主義者です。

しかし、本当の魅力は、過ぎ去ってしまう今の現実よりも、決定的な未来の現実にあるのでしょう。わたしたちの最終的な時は、未来にあるからです。今の時は、魅力は、その決定的な未来を見据えて意味づけられた時に、評価されます。したがって、絶えず動いているのであり、あゆみは途絶えないのです。だから、いつも注意深くありたいですね。

決定的な未来とは、天国、裁きのこと

決定的な未来の時とは、天国のこと、裁きのことです。今からそれらを見据えて祈り、自覚して、自分のあり方を見つけていくことでしょう。つまりは、自分の弱さに挑戦し、必要なら、否、やはり、自らを変える勇気が大事になってきます。

自分の周りにいるあらゆる方々、赤ちゃん、幼児、児童、生徒、学生、同年配の友だち、先輩・後輩、すべての人々から学び、教わり合いながら、新たな「自分」を目指しましょう。決定的な時の重みを感じるときに、今の「わたし」に変化が起こり、新たな歩みが始まるのではないでしょうか。

人の真の成長は、神のみが見えるところで、つまり、神の恵みに導かれて歩みを続けるのです。その重みを、ありがたさを感じられているでしょうか。歩みつつ、神とつながっていること(恵み)を求め続け、ふりかえり(黙想)を、・・。

 

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