四旬節第1主日(A年)の福音=マタイ4・1~11
2020年3月1日
今日の切り口は介護情報誌の記事から
介護情報誌に「レクリエ」があります。これまで、デイサービスなどで活用してもらおうと、シニアが競うレクリエーションを中心に紹介してきました。確かに、参加者の間で勝ち負けを争うレクリエーションは、白熱すると盛り上がります。(讀賣新聞大阪本社、2020年2月26日朝刊)
一方で、身体の状態が異なる高齢者が参加する場合、同じ人ばかりが勝ち続けると、勝てない人がストレスを感じてしまうことがあります。そこで、「競わないレクリエーション」が注目され、認知症高齢者のレクリエーションを研究する介護福祉士の尾渡順子(おわたりじゅんこ)さんに相談。勝ち負けにこだわらない方が参加しやすくなっているのだそうです。
自己肯定感の高まりが人を前向きにする
尾渡さんは、勤務先の介護老人保健施設「あさひな」(横浜市)で、入所者の協力を得ながら「競わないレクリエーション」を考案しています。二人一組になってするゲームとか、集団で楽しむゲームなど、「思い出」や自分のことを話したり表現したりすることを重視しています。「学校」「映画」など誰もが経験し、なじみがある話題を振ると話しやすく、脳トレにもなるといいます。話を聞いてもらうことで自己肯定感が高まり、物事に積極的に取り組むようになるといいます。
やっていて「楽しめる」こと、また、「自己肯定感」の高まりこそが、人を前向きに、積極的に、行動へと走らせていく原動力ではないでしょうか。年を重ねていきますと、何かとひきこもりになり、考え方もマイナス方向になっていきます。高齢者にとって、大きな誘惑になっているのは、「どうせ年だから」という思いからくる「あきらめ感」であったり、疎外感であり、自己否定感ではないかと思います。先輩諸氏の誰もが辿ってきた道のり、それは、一つの試練でもあるのではないでしょうか。つまり、落ち込まなければ、大きく前に飛び出せるエネルギーにもなるということです。
苦境を試練と捉えることができれば…
その上、一人ひとりの人生には、年齢的な困難や苦しみとともに、別の困難や苦しみがつきまといます。避けたいと思うのは誰もが感じていることですが、それらを含まない人生はあり得ないのではないでしょうか。困難や苦しみを避けることができないとすれば、それを「誘惑」の機会にしないで、「試練」を受けとめさせてほしいと願い、祈るべきなのではないでしょうか。
つまり、苦境に立たされている自分を意識できたら、プラスに向かうことができる一歩です。その苦しみや困難の虜になる前に、「誘惑にあわせないでください」と祈ることを、願うことを大事にしましょう。「主の祈り」はまさに、こうした時のことを思い起こさせます。「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」と祈ります。以前の「主の祈り」では「試みに引き給わざれ、・・・」でした。しかし、苦しみや困難が避けられない人生であれば、現行の「主の祈り」の訳文がわたしたちの今の生き方に則した願い、祈りになっているように思います。
「苦しさ」「辛さ」そのものが切っ掛けになって、誘惑と化してしまうことがあるからです。また、試練となっていくこともあるのです。今日の福音書で、イエスは誘惑に陥りやすいわたしたちに、その対処法を示しています。
「神の言葉への徹底的な服従」が有効
悪魔の三度にわたる誘惑に対抗して取った対処法は、常に旧約聖書の言葉を提示しているということです。つまり、誘惑を試練に変える、とっておきの有効な手は、「神の言葉への徹底的な服従」であるということです。
明らかに、今日の福音では、イエスは悪魔から三度にわたる誘惑を受けられます。荒れ野での40日間の断食を終えた後、人として「誘惑する者」(悪魔)から試練を受けます。
神を試さず、神の子としてひたすらに
三度の誘惑に共通して言えることは、イエスを神から引き離してこの世を自分の支配下に留めておくこと、という悪魔のねらいを汲み取ることができるということではないでしょうか。それに反して、イエスの側から言うとすれば、「神の子」としての権威を自分のために利用することなく、神を試すことなく、神の道をひたすら歩む者として、さらに、世の栄光ではなく、神の栄光を求める者として悪魔の誘惑を拒絶していくのです。
イエスに示された神からの道は、苦難の道でした。受難への道を歩むことでした。それを妨げる者は「サタン」です。いわゆる、自己中心的な生き方を追求する者、そこから生じてくることは、「誤解」です。つまり、誤った「メシア観」を抱き、それに則った方向を目指していくのです。そして、他者にもそのようにすすめていきます。サタンはそのように振る舞うのです。
イエスは、メシアとしての「自己肯定感」を持ち合わせていたといえます。そして、その力を発揮されました。ご自分の存在、役割をしっかりと見据え、悪魔の「誘惑」を「試練」に変えていくエネルギーとしてお示しになりました。はたして、今の「わたし」は、・・・。
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