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四旬節第1主日:どんな状況でも!神は人を正当に評価し支えて下さる

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説教の2019年・年間テーマ=「召ばれています、いつも」

四旬節第1主日(C年)の説教=ルカ4・1~13

2019年3月10日

2011年3月11日に発生した東日本大震災から8年。地震に伴う東京電力福島第一原発事故も重なって、被災地の「食」は壊滅的な被害を受けました。それが今、穏やかに回復しつつあるといいます。(讀賣新聞大阪本社、2019年3月5日朝刊)

緩やかに回復が始まった宮城県の海の話

「海の恵み 名物に育つ」という見出しがそのことを物語っています。新たな特産品が誕生したり、以前からある味を観光客が再評価してくれているとのことです。その見えないところでの関係者の絶え間ない、コツコツと積み上げてきた努力の結晶が輝き始めたのです。

宮城県南三陸町の袖浜漁港近くの海では、カキ養殖の大きな浮きが並んでいます。津波で流された設備も復旧してきました。ただ、扱うカキの種類が以前とは異なっています。同町の佐々木昇記(ささきしょうき)さん(60歳)ら11人が2013年から育てているのは「あまころ牡蠣」です。「小ぶりだが、甘みとうまみが強い」と地元では、そのおいしさが知られていた牡蠣です。また、養殖期間が約10か月と従来の半分以下で「殻付きのまま出荷できるので殻を取る作業もない」(佐々木さん)点もありがたいといいます。甘みのある「ころカキ(殻付きのカキ)」から名前を取り、商品化を進めたそうです。

カキやカニなど、新たな名産を生み出す

宮城県では他にも、震災後に海から新たな名物が誕生しています。ワタリガニです。農林水産省の海面漁業生産統計調査では、ワタリガニなどガザミ類の漁獲量が、2017年には714トンで全国首位となりました。津波の引き波で陸上の泥が遠浅の仙台湾に運ばれ、泥地を好むワタリガニの生息に適した環境が整ったことが増加につながったとされています。

このように、生産性のある「食」を追い求め、努力を重ねた実りは、新たな展開を見せ、多くの方々の注目を集めるに至りました。その結果、東京、大阪などの首都圏に展開されていくようになったのでした。生産に携わる人にとっても、その恩典に与るわたしたち市民にしても、ありがたく嬉しいかぎりです。

地元の”命懸け”の努力に敬意を表したい

地元の関係者の命を懸けた、生涯をかけた取り組みが、時間はかかったものの確実に実ったのでした。そして、壊滅的な「大災害」を受けたにもかかわらず、その裏では新たな「自然界の恵み」が準備されていたのでした。「禍転じて福となる」ことが起きたと言えるのでしょうか。あまりにも犠牲が大きすぎました。それでも、他者に開かれた道のりを歩む限り、「負」のままでは終わらないのです。

わたしたちは生きるために「食」は欠かせません。いつの時代にも言えることです。でも、「食」のために生きているのではないでしょう。そのような印象を感じているのであれば、わたしたちの生まれながらに持っている「生きていたい」という願望が表に強く出ているのではないでしょうか。でも、できることならばおいしいものを食べたいですよね。特に疲れた時、よく頑張った自分に対してそうしたくなることがあります。

人は食なしには生きていけないのだが…

今日の福音書は、このような人間の根本的な弱い部分を突いてくる誘惑です。より幸せに生きたいという望みは、誰もが抱く思いですし、望みです。しかし、食べるだけの人生、金を儲けるためだけの人生だとすれば、つまらなく感じませんか。その上、努力した分だけの生活が保証されるかといえば、ままなりません。悲しいかなこれが現実です。

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だからといって、生活のための働きをやめていいということではありません。生活のために働きながら、しかし、それは「パン」を得るためだけの働きではありませんよ、という認識と自覚が大事ですよ、とイエスはおっしゃっておられます。「命のために何を食べようか、体のために何を着ようかと、思い煩ってはならない。命は食べ物に勝り、体は衣服に勝っている。…神はこれを養ってくださる」(ルカ12章22~24節)

人間欲を達成するだけの生き方は不十分

また、自分の権力欲の達成だけを追求する人生もこれまた、むなしさを覚えませんか。誰かを支配し、ある会社、組織の権力を握ったとしても、いつかは誰かに手渡さなければいけなくなります。永久に続くことはあり得ません。先ずは自分自身が限界を抱えているからです。

福音書の中のこうした悪魔からの誘惑に、イエスは「人はパンだけで生きるのではない」「あなたの神、主を試みてはいけない」という聖書の言葉によって対抗します。

つまり、誘惑に対抗するわたしたちのあり方をお示しになっています。わたしたちは、日常、誘惑をいろいろな機会に体験していますが、すべてが順風満帆の中では、つい有頂天になって、自力に頼ってしまうのです。

道標が神に向いているか?どうかが大事

イエスが伝えたいことは、「わたし」の人生、日々の歩みは神に向けられたものであるという事実を認識しましょう、自覚しましょうということではないのでしょうか。イエスが、ご自身の使命を果たしていこうとするその初期に、このような体験をなさったということは、わたしたちの人生の歩みの「しるべ」を示してくださったのでしょう。

神は、わたしたち一人ひとりに何が必要なのかをすべてご存知です。だから、わたしたちが求めるのは、神ご自身、父の国(神の支配)の到来なのだ(ルカ12章31節)と言われます。求めましょう、願いましょう。

他者に開かれた「わたし」の人生のその先に、神がもっと開かれた両手を広げて待っています。はたして、「わたし」は神に向いているのでしょうか。

 

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