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主の公現:イエスとの絆を深めるために、「平和とゆるす」ことを願う

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「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

主の公現(B年)の説教=マタイ2・1~12

2018年1月7日

「まず知り合うこと 知りあえば お互いに愛しあうようになるでしょう
互いに愛しあえば 支えあうようになるでしょう
もしほんとうに愛したいと願うなら ゆるすことを知らなければなりません」
―「マザーテレサ 愛のことば」より―

人は尊敬している人の言葉は受け入れる

自分が尊敬している方のことば、行いについて、聞いたり見たりしますと何の抵抗もなく受け入れ、納得している自分に気付きます。このような思いを神に対していだくことができないものなのか、自問することがあります。

「尊敬する方」と言っても、一回もお会いしたこともなければ、ましてやお話ししたこともない方なのに、抵抗感がないのです。その評判を、いろいろな情報網を通して耳にしたり目にしたりしただけなのです。

会ったことがない人でも、情報をもとに信頼することができる

それでも、会得しうる限りの情報を総合して、信頼に値する方であると確信を抱き、受け入れていくのです。わたしたちは自然にこのような動きをしながら日々を過ごしています。そして、共同体を形成し、その中で育っていきます。

新しい年を迎え、正月三が日は「無病息災、商売繁盛」を祈願して、日本国民はひたすら祈りに向かいます。

いつの時代でも平和は人類の一番の宝物

かつて、戦争に駆り出された、かつての青年兵隊さんの家族が曰く、「人類の貴重な財産は平和であること」であると。そのことは、戦争体験者の遺族の口から発せられた言葉として実感が伴っています。

いつの時代においても、平和であることは生きる現場で、一番の「宝物」ではないんでしょうか。この宝物は民族を超えて、さまざまな文化を超えて、全く国境はないのです。バリアになるはずもなく、また、なりえないでしょう。だって、それで皆が生きることに幸せを感じ、安心できるからです。

さて、今日の福音書には「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか」といって、訪ねてきた東の方からの訪問者があります。当時のローマ帝国は、「現に生きる神」という称号をもってアウグストゥス皇帝が登場してきたばかりでした。

東方の訪問者の質問は危険に満ちていた!

大きな権力のもと平和な時代が到来していたともいえるのでしょう。混乱の中、統一を維持し秩序が保たれていたからです。その支配は、政治力、軍事力をもって、パレスティナに大きな権力と特権を確立していました。したがって、皇帝に対する批判はゆるされませんでした。なのに、彼らはわざわざヘロデを尋ね、「王はどこに生まれたのか」と問うのです。

https://8263.jp/seisyo/1832.html/

彼らも初めての出来事、キリストの誕生を東方の国で知り、もっとそのことを知りたくてベトレヘムへの旅を実現させたのでした。この危険ともいえる質問をすることにどのような意味があるのでしょう。東からの訪問者がローマ帝国やヘロデの存在に無知であったということはないでしょう。

彼らが危険を冒してまでも尋ねた理由は?

当時の王として無視していたわけでもないでしょう。が、彼らは真の意味で「王である」とは言えないという訪問者の信仰告白が込められているといえます。いわゆる、ユダヤ人にとっては異邦人である東方の訪問者は「イエス誕生」の真の意味を認識していたのです。

メシアであるイエスさまに出会える人々は、貧しくへりくだった人たちです。東方からの訪問者も、ユダヤ人からは偶像礼拝者とみられ、異邦人の中でも最低の立場に置かれていた人々です。その彼らが、イエスさま誕生に呼ばれたのです。

こうした人々を神はひそかに導かれます。その結果、より深いかかわりが生まれます。強いきずなができあがります。もっと深く知ろうとさらに動き出します。元気をいただいてもっと前へと歩み出すことができるようになります。

神とのこうした関係を保っていたであろう聖マザーテレサのことばだから大きな力をいただきます。が、わたしたちはどのようにしてそうなりますか。やはり、現実の世俗への魅力の方が勝っているのでしょうか。

神が働きかけている「真の光」に気づきたい

神が働きかけている「星の光」が、東方の旅人には見えたその光が見えないのです。仮に、見えたとしても、自分とのかかわりを確認できないのです。ヘロデと同じように、自分の中にある一番の関心事の「光」の方が輝いていて、その眩しさに遮られ、「真の光」が覆われてしまっています。

先ず、身近な日常生活の中で「ゆるす」ことの大切さを知り、行ってみることにしましょう。そして、イエスさまとの出会いがより深められ、強いきずなでつながっていきますように。身近な聖者のとりなしを日々、願いましょう。

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