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主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表

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主の公現(A年)の説教

2023年(A年)説教の年間テーマ=み言葉は「救い」の見極め

主の公現(A年)の説教=マタイ2・1~12

2023年1月8日

人間は気分が変わると考えること、することにも大きな変化が出てきます。そのきっかけはどうなのかと言えば、やはり、自分の外側で起きる出来事、現象がその起因になっています。

正月の風物詩”門松”などが廃れてきた?

正月の「風物詩」となっている飾り物等、それらが年々減少し、さらには変化してきているように思います。典型的なものと言えば、「門松」を挙げることができます。その昔は多くの家庭においても、大・小はあっても準備され、飾られていました。また、車にも、しめ縄等の飾りをつけていました。車、人のたまり場には、そのための出店まで設けられていたのです。最近はそれらの店も、ほとんど見えなくなっています。

その理由をわたしなりに探ってみますと、最近の人々の生活のあり方の変化が影響し、それが定着してきたからでしょうと思われます。それというのは、連日テレビ等のニュースでも取り上げられている、国内外の旅先で正月を過ごす方の増加です。年末年始になると、国内組、海外組等の旅行者の混雑具合の予想などを報道するのが定番になってきました。

以前は、家族が実家に集まり、そろって年始の挨拶で新年が始まったのですが、・・。そして、みなが元気に新年を迎えられたことの喜びを共にしたものでした。思い出します、おふくろさんの手料理の「おせち」が楽しみであり、おいしかったなと。それが今では外注予約した「おせち」が定番になっています。あの受け継がれてきた日本の正月の雰囲気がまったくゼロです、とも言える状況です。かろうじて残っているのが和服姿の女性を見ることでしょうか。中でも、なんと、外国人の旅行者がこぞって和服姿です。そして、廃れていない、引き継がれているのは唯一、「神社参拝」の人波でしょう。願わくは正月でだけでなく、少なくとも普段の日曜日にも、こぞって「祈り」に行ってほしいなと、個人的にはいつも思っています。

神社参拝は健在!その理由を考えると…

このこと、「神社参拝」が意味するものは何でしょう。それが本来の人間存在の根拠、よってもって人が存在しているという原点だからです。人は、必ず何かにすがり、自覚しているにせよ、無自覚にせよ、何かを拝みながら生きているのです。拝む対象によって、その人の生き方にも大きな影響が及びます。

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自分の外にある出来事等は、時として、その「拝むべきもの」を「わたし」に示してくれます。きょうの福音書の中に登場してくる東方の占星術の学者たちに、「拝むべきものを」示してくれたのは「星」でした。しかし、その学者たちがヘロデ王に不安をもたらしたのでした。自分のライバルが出現したことに、ヘロデが不安を抱いてしまったのです。そこでヘロデは学者たちを集め、メシアがどこに生まれるのかを問いただしたのです。そして、ユダヤの国ベツレヘムで生まれることになっているということが分かります。ヘロデは占星術の学者たちを呼び寄せ、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出したのです。「わたしも行って拝もう」と言っていますが、それは真っ赤なウソでした。そのことは、ベツレヘムの二歳以下の子どもたちを皆殺しにしたことからも明らかです。(16節)

神の計画は”何か”を使って人に示される

夢は神の計画が人間に示され、明かされる手立ての一つですから、メシアにあった後の占星術の学者たちのとった態度は、夢で示された神の意思に従った行動でした。

何かを使って示された神の計画、天からのしるしに、誰もが心を開くという保証はありません。しかも、より具体的に示されたとしても、ヘロデ大王が示しているように、その心を開いて受け入れ、それに従って行動するとは限らないのです。自分が決めた礼拝物から離れることができないからです。今に生きている「わたし」はどうでしょう。イエスは、秘められた神の計画をわたしたちに示されたと言われますが、わたしたちも何を礼拝しているのか、何を拝むべきかを、いつも、より深く振り返ってみる必要があるでしょう。

東方の学者たちが見たのは、「ユダヤ人の王」の誕生を示す「星」でした。罪から人を救う幼子の誕生が「星」によって異邦人(学者)にも知らされ、告げられたのです。このことが意味するのは、幼子が実現することになる罪からの解放は、すべての人に及ぶということです。しるしとなった夜空に輝く「星」は、幼子がどのような存在であるのかを象徴的に表しています。

占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。学者たちの目的は新しく生まれた王を「拝む」ことです。

一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。幼子は罪から人を救う「王」なんですが、その姿がヘロデには見えないのです。

学者?ヘロデ?わたしはどちら派だろう

占星術の学者たちとヘロデの取った態度の違いは、今のわたしたちに「あなたはどうですか。どちらを取りますか」と訴えかけているようでもあります。さあ、わたしたちはどうしましょうか。

占星術の学者たちは幼子を礼拝することによって、真の礼拝すべきものを発見し、喜びに満たされ、それも、わが身を捧げるものに出会うことのできたことを喜ぶことができたのです。それによってまた、幼子が示す新しい彼らの道に向かって歩み始めることができました。再出発です。「『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」のです。

正しく、占星術の学者たちは、キリストに出会いたいと望んでいる人たちの代表者であるということができます。

「星」はすべての人のために輝いています。

※以下は読者の便宜のために編集者が追記しました。

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、 15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
ヘロデ、子供を皆殺しにする
16さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 17こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。(マタイ2.13-17)

 

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