年間第33主日(C年)の説教=ルカ21・5~19

2016年11月13日

神のぬくもり「無病息災」ということばがあります。病もなければ禍もない日々が実現しますと、わたしたちにとってこのうえない「天国」の境地になるのではないでしょうか。「天国の境地」がどのようなものなのか、実体験したことがないのでわかりませんが、・・。

また、「これだけ祈り、願っているのに、神さまはわたしたちの願い事を聞き入れてくれないのはどうして?」と呟きながら、失望してしまう人たちも確かにいます。自暴自棄になり、その人生を狂わせてしまう人が、はたしてどれだけいるのでしょう。

しかし、失望に程度の差こそあれ、このように感じるのが、人間として、ひょっとして普通なのかもしれません。その失望が、自ら招いたものもあれば、他者から強引に科せられたものだってあります。

イエスさまの今日の福音の話は、当時のパレスティナの状況を物語っています。当時の大国ペルシャやローマが、自国の勢力を伸ばそうと図るとき、交易の要路になっていたパレスティナはどうしても自分の味方に引き入れておく必要がありました。それで、それぞれの利権が絡み合い紛争の火種となっていたのです。

そのさまを、イエスさまは表現しています。そこは対立、虐殺、迫害、破壊の現場となり、絶えずその危機にさらされていたのです。そこに生活する人々びとにとっては、平和は奪われ踏みにじられてばかりでした。他の勢力によって過酷な生活に追いやられてしまったのでした。その時の社会の状況に逆らうことはできなかったのです。

神を信仰し、恵まれた環境にある人にとっても、こうした状況に陥ることはありますといわれます。信仰者だから家内安全、商売繁盛ばかりではありませんよ、といわれるのです。歴史の現実から隔離されて生活が保証されているわけではないのです。このことを見せてくださっているのがイエスさまご自身の生涯です。

おん父からの使命を全うするために、最後までしっかりと果たされました。人としての思惑を超えてやってくる指導者たちの非難、中傷、最後はその命まで奪われてまでも甘受し、生き抜かれたのでした。

信仰者であるわたしたちにも、信仰者であるがゆえにイエスさまの歩いた道を生きることになるのです、と宣言なさいます。しかし、「あなたがたの頭から髪の毛一本失われることはない」と、わたしたちへの保護も約束なさいます。

現実の生活の中で、神の保護を実感し、苦しみを超えていくことができますように保護と祝福を強く願いましょう。「求めよ、さらば与えられん」