年間第22主日(C年)の説教=ルカ14.1、7~14

2016年8月28日

神のぬくもり四年に一度開催されるオリンピック、今年はブラジルのリオデジャネイロで開かれました。閉会後一週間が過ぎ、熱気が少しはおさまってきた頃でしょうか。それにしても、自己の望み通り、皆の期待通りにメダルに手が届いた選手、そうできなかった選手、それでも、それぞれに力を発揮し、出し切った選手ばかりであろうと思います。競技である限り勝敗がついて回ります。

テレビ、新聞の報道を見る限り、どの選手も感謝の心を表明しています。たとえ、メダルが取れなかったにしても、参加できていることに大きな喜びを感じている選手が多いのではないでしょうか。観衆の皆さんも、今までになかった応援をし、応援することの喜び、醍醐味を経験なさったのではないかと、勝手に想像しています。

いつもの現場ではない場所、時、環境を前にしたとき、そこにいる自分が自分ではないなと思うことってないでしょうか。俗にいう「舞い上がって」しまい、我を見失ってしまうのです。「童心に帰った」みたい、という時も同じような心境なのかなと思います。

別の表現をすれば、その人の「真の姿」がそこに表れているのです。オリンピックなど、国際的な大舞台で演じる選手の皆さん、緊張のあまり失敗することもあるのでしょうが、美しい姿がそこには表現されていたと言えます。

金メダルを取ってその勝利を喜ぶことはあっても、他を押しのけてその地位を誇示しようとする人はいないように思います。結果として、勝った人も、負けた人も自分のありのままを開くことで、真の交わりが深められていくのではないでしょうか。

今日、イエスさまは福音の中でこのことをおっしゃっておられます。「わたし」の今の存在は、親や周りの人びとがいなかったならばないのです。あかちゃんの時は乳を飲ませてくれ、食べ物を提供してくれる親がいました。そして、多くの人からたくさんの援助と愛を受けてきました。そうされる「資格」があったからかと言えば、そうではないでしょう。すべてを先に神が配慮してくださっているのです。しかも無償です。

だからうぬぼれるな、謙虚になれ、と断言なさいます。これが神のなさりかたなのです。人とはかなり違うやり方です。

オリンピックに参加できた選手、観衆の皆さんは、自分の能力と謙虚さと新しい自分を発見する尊い場を、今回はいただいたのではないでしょうか。参加できなかったわたしたちも、「自ら高ぶる者」ではなく、「自らへりくだる者」、自分を発見したいです。