復活節第2主日(B年)の説教=ヨハネ20.19~31

2012年4月15日

主との出会い

「竹馬」「知己」という言葉があります。「いっしょに竹馬で遊んだ友人」「自分の気持ちや考えなどをよく理解してくれる親しい友人」という意味合いのこもった表現です。いずれにしても「親しい」友人、仲間という関係を示しています。

このような親しい関係にあっても、「信じられない」できごとが相手との間で発生することはあります。別の言い方をしますと、どうしてもわたしたちは、人としての常識の世界で生きているのです。そして、とうてい考えられない話しに対して、懐疑的な態度をとってしまいがちです。場合によっては、友情関係が破壊してしまうことも、残念ながらなくはないです。

イエスさまと弟子たちの関係は、友人同士というわけではありませんでしたが、「親しい」間柄の生き方であったとことにかわりはありませんでした。イエスさまを亡くした上に、ご遺体までもがなくなってしまった現実を、弟子たちはどのように受け止めたのでしょうか。その多くは「まさか、…そんなことが起こるはずがない」と言い返したのではないでしょうか。

まさに、トマスと同じです。トマスのこの表現は、その奥にある彼のイエスさまへの思いを表現しているように思われます。同時にそれは、イエスさまの人生も死で終わりという考えをも言い表しています。イエスさまの話を親しく聞いていても、イエスさまに備わっているその神秘に心も思いも届いていなかったのです。

でも、そこには人間としてのトマスの誠実さもあります。別のいい方をしますと、トマスは人間としてごく常識的な男性であったのです。つまり、かつてはイエスさまの前で格好いいことを言いながらも、実現できなかったことを悔やみ、そのために深く傷ついてしまったのでした。トマスの自業自得とはいえ、彼は懐疑的な男になっていきました。

わたしたちにもよくある話です。そういう彼に対するイエスさまの態度は、ひたすら癒しの言葉とやさしい表情を投げかけます。その気はなくとも、トマスからイエスさまとの関係を断ち切ろうとしてしまいそうなその時、イエスさまはそのことをおゆるしになりません。いつまでも「知己」であり続けたいかかわりを維持なさいます。

今に生きる私たちとイエスさまとのかかわりも同じです。そうです。わたしたちは失望することはないのです。イエスさまから見捨てられることはないのです。ただ、わたしたちは賭ければいいのです。託せばいいのです。だって、イエスさまとは「竹馬の友(?!)」なのです。