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年間第24主日

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第24主日:試練は「神の思い」と「人の思い」の違いの大きさから

イエスがペトロに「サタン、引き下がれ」と命じたのは、イエスの前に出て歩むのではなく、「わたしの後に退け」ということでした。「神の思い」と「人の思い」とがかけ離れているので、わたしたちには苦しみがあり、それがまた、大きいのでしょうね。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第24主日:お互いの命を慮るやさしい心を大きく、豊かにしたい

わたしたちはお互いが慮る心を持ち合わせることによって、断ち切れそうになっているかもしれない関係を修復し、交わりを損なうことなしに保たれていきます。実に、それは神からの恵みです。神の前に「仲間」として生きることになり、人を心から赦していくように招かれているのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第24主日:イエスは罪人の「わたし」と「一緒に」、いつも、どこまでも

イエスは神の「あわれみ」を前面に押し、罪びとを迎えてかれらと「一緒に」いる方なのです。この現実を受けて、わたしたちは、もはやファリサイ派のように、より劣ったものを引き合いに出して、自分の清さを誇示することなんてできません。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第24主日:イエスは問い続けている「わたしを何者だというのか」

コロナ禍にある今、学生が「私は何者」と自らに問うて、自ら答えようとしている姿に、神からの「わたしたち」への語りかけが含まれているように思えます。果たしてそれは、・・。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第24主日:日常に生きている「わたし」の中に育つイエスの心

「やさしさ」は、日常の生活から離れて何か特別なステージを設け、体験しなければ得られないものではありません。通常のごく日常的なできごとの中でこそ味わい、得ることのできる心です。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第24主日:わたしの喜びは、神の喜び。神の世界に「落伍者」はいない

救いの世界に「落伍者」があるなんて、たまったものではありません。考えられないことです。今日の福音の三つのたとえ話には、共通したものがあります。あわれみを注がれる神がいるということです。しかも、神自らが、わたしたちが悔い改めるより先に、わたしたちを捜し出そうとしている姿があります。
2018年/B年説教=神への道標

年間第24主日:イエスは苦しみと十字架を通して、人間を救うメシア

イエスは順風満帆の人にも、辛さ、苦しみの真っただ中にいる人にとっても、さらなる「希望の光」を見させてくださいます。わたしたちがどのように変わろうとも、神は絶えることなく一人ひとりを支えてくださいます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第24主日:あわれに思うとは、見て見ぬ振りができない神の心

多くの人が、日常生活を離れた特殊な生活現場で生きているわけではありません。ごく日常的な生活、心がまえの中にこそ、聖なる人になるべき現場があると、今日の福音は示してくれます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第24主日:あなたはイエスさまが気になっていますか!?

わたしたちにとって、いい人としての「気になる人」については、もっと正確に知りたくなるものではないでしょうか。「悪い人として」気になる人って、はたしているのでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第24主日:いつくしみの神は「落伍者」がでることを望まない。

今日の福音に登場する話、迷った子羊、銀貨を失った婦人、放蕩息子の話に共通することといえば、「いつくしみの神」が描かれていることです。失ったものを捜しあてた時の喜びは何とも言えない安堵感を与えてくれます。イエスさまもそのような温かい心でわたしたちに迫ってこられるのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第24主日:教会共同体は、みなが喜ぶ集いになっているでしょうか?

救いに条件があるとすれば、集められたわたしたちが、一緒に喜ぶ「つもり」があるんですか、ということです。今の教会共同体がみな、「一緒によろこんでいる集い」になっているかどうかです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第24主日:イエスはユダヤ人のこの世的メシア像を砕いた

ユダヤ人のメシア像は、ローマの支配から人々を解放し、自由と独立を与える存在。イエスは「あなたは神のことではなく、人間の思いにしたがっている」と、彼らのメシア像を砕いてしまいます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第24主日:信仰生活と日常生活に遊離はない。日常の行いが大事

今日の福音が強調しているのは「ゆるす」ということです。わたしたちの日々の生活は、このゆるしを前提に織りなされているといっても過言ではありません。それだけに大切な日常の心がまえとなります。
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