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年間第21主日

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第21主日:「つぶやき」が嘆き節ではなく、さわやかな祈りになるように!

自らの辛さ、苦しみ、やるせなさがどうしても気になり、周りに、ましてや神に、イエスに、目と心を向けることがおろそかになってはいないでしょうか。むしろ、そんな時こそ神にすべてを向ける、もってこいの「時」なのではないかと、・・。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第21主日:我々は神から名指しで集められた。各自の応答や如何に?

「あなたは生ける神の子です」というペトロの告白は、神からの呼びかけ(恵み)があってこその応答でした。これがイエスが言う「信仰」なのです。そこには人間の思いはなく、神の思いのみが働いています。同じく神からの名指しの呼びかけに集まった者たちが「神の民」と呼ばれる教会なのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第21主日:イエスの教え⇒狭い戸口から入る人は救われる!なぜか?

「彼方を立てれば此方が立たず」という限界を感じながらも、それでも前に進もうとする勇気と知恵と大胆さがあるならば、必ず道は開けます。自己の弱さ、未熟さの上に立って、周りの人々に心を配り、実践がともなう時、平安な、安らぎをいただく恵みを味わうことができるでしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第21主日:過去を追憶するだけでなく、今に生かし未来に繋ぐ信仰を

過去の歴史的な出来事を、過去として終わらせるのではなく、「今」につながっている伝承、出来事として追憶することが大事。わたしたちの信仰も今の世相の中で育ち、豊かになっていきます。そして、後世に繋いでいくことになるのでしょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第21主日:良さと悪さを併せ持つ「わたし」に勧める、それでも!

わたしたちは聖と俗、表と裏、強さと弱さを併せ持ちながら信じています。だからこそ、弟子たちがそうであったように、神の恵み、聖霊の助けが必要なのです。神の支えがなければ「わたしの生」はない---このことを伝えていくことが、信仰宣言であり宣教活動ではないでしょうか。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第21主日:「狭い戸口」は自分の身近に。その実りは「慕われる人」

各々魅力ある「わたし」を持っています。それらを発揮することを通して、「救い」への道が開かれていくのではないか・・。「狭い戸口」とは、ごく普段やっていることに、生き生きとかかわっていくことにあると言えるでしょう。
2018年/B年説教=神への道標

年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある

徹底的に自分を変革したいなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っているのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第21主日:欲望に引きずられながら信仰に生きようとする「わたし」

わたしたちにとって大事なことは、「人そのもの」です。問題点ばかりを探しあてたところで、その人の本物に近づくことは難しくなります。わたしたちは、崇高さと煩悩さを兼ね備えた存在です。こうした人間の中に、信仰があり、だから恵みに支えられているのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第21主日:神を信じて生きると、人はもっと豊かに魅力的になる

「信じる」ということは、まさに、その人に向かうことであり、その人を見つめ、その人にゆだねることなのです。論理的にわかりにくいことがあっても、その人を信じているがゆえに受け入れていくことができます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第21主日:子どもはイエスさまに出会うための条件を自ら備えている

「狭い戸口」と「幼子」はつながっているような気がします。子どもは未熟ですから自分を任せます。他者からの手助けを拒みません。さらに、そこにいることで人々に元気とやすらぎを与えてくれます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第21主日:「狭い戸口から入るように!」は鍛錬の勧めです

イエスさまとつながっている限り、その業は具体的であり、大きな助けとなっていきます。この確信を深めたいですね。「狭い戸口」は特別困難な入り口ではなくなるのでは、・・・。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第21主日:信仰とは納得できなくても己を委ねきる神への信頼

ペトロは「主よ、だれのところにいきましょう。あなたは永遠の命のことば・・・」と。日常同じような人との付き合いをわたしたちは実践しています。神さまとなるとなぜかぎこちなくなります。なぜ?
2011年/A年説教=神のみことば

年間第21主日:聖と俗のペトロはわたしたち信仰者の始まり

ペトロの中にある強さと弱さ、美しさと醜さ、その中で彼の信仰は強められていったのでした。今に生きるわたしたちとて同じです。心の奥では崇高な神を見つめながら、一方では平凡な幸せを求め、汚い欲望に引きずられている自分を発見します。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第21主日:信仰とは、「神の味方であるかどうか」ということです

イエスさまの正体は「何者か」。今日の福音でペトロが「まことにあなたは神の子です」と宣言することによって、イエスさまの正体はわかっていることを証明します。
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