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四旬節第2主日

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

四旬節第2主日:イエスの生きている世界は「わたし」に近いですか、遠いですか

「これに聞け」というおん父からの指示通り、ペトロはイエスの神秘に目を挙げます。イエスの生き方を学ぶことに専念するよう呼びかけられる中で、ペトロは少しずつ、変えられていきます。日ごろの積み重ねこそが大切です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

四旬節第2主日:自ら選択する「道」と呼び出されて与えられた「道」

ペトロのみならず、「わたし」のイエス理解には不足があります。だからこそ「彼に聞け」という神からの言葉は、わたしたちに「イエスに聞き続けなさい」という促しの、励ましの言葉です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

四旬節第2主日:自己環境に注目!その中で「わたし好み」の時、場所とは

社会の喧騒から離れることは、心も体も現実との関係を断ち、ゆっくりと自分の好きなことに集中できるということでもあるでしょう。それが、イエスの場合は神に祈ることだったのです。自分好みの時、場所、過ごし方を意識してみること、大事かもしれませんね。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第2主日:神と人を相手に交わり、芯のある信じる人生を目指して

イエスの弟子たちへの教育は、適宜に、ゆっくりと、繰り返し、段階的になされていきました。神と人との人格的交わりを強く求める神を宣べ伝えることが、今のわたしたちに託され、継承されています。それだけに芯の通った生き方が求められます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第2主日:主の変容は、今の「わたし」を支え、励ます出来事である

今日、共に見つめてみたいことは「イエスとともに生きようとする『わたし』」なのかどうかということです。神であるにもかかわらず、そのことにこだわらない人生を生きられたイエスに、自分の人生を合わせることができているでしょうか。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

四旬節第2主日:人の顔が一番輝くのは、内面と外面が一つになったとき

神を向き、神との関わりを感じれば感じるほど、祈りは深まります。深まっていけば、いい顔になっていきます。その究極が今日のご変容のイエスの姿ではないでしょうか。たとえ、今の「わたし」が神を感じることができなかったとしても、祈り続けることです。繰り返すことです。いい顔になっていきますよ。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第2主日:イエスは沈黙を守る。その心は人の思いを超えたところに!

ペトロは、自分が思っているメシアとは真逆のイエスさまの姿を、しっかりと見るように促されています。私たちも、何かのとりこになっているとすれば、本来の姿へと呼び戻されたいです。それも、人間の思いを超えたものへと思いを馳せることができれば、・・
2015年/B年説教=イエスのこころ

四旬節第2主日:高い山上でのご変容は、神の思いと人間の思いの交流点

ご変容の目的は、明らかに弟子たちの信仰を固めるためであったのです。同時に、それはイエスさまが、おん父が定めたご自分のこれからの道のりを受け入れる「はい」という返事をくだされた出来事でもありました。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第2主日:日常と記念の日を、ともに大切にすることで成長したい

「日常」が得意な男性のみなさん、女性も家族も満足できるような豊かな信仰生活、社会生活をいかにリードできているでしょうか。そのリードにちゃんと乗っかって歯車が合わさっている家族の状態を日常的なものにしたいですね。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第2主日:イエスは今日も呼びかけている!あなたは真のわたしの弟子ですか?

「わたし」の日常で、あっと驚く、励まされる「暴露出会い」はありませんかね。あるとすれば、イエスさまの招きです。ご自分の歩まれた道に、わたしたちが自分の人生を合わせることを求められるイエスさまが、今日、呼びかけられます。
2011年/A年説教=神のみことば

四旬節第2主日:「彼に聞け」とは、本能のままではなく、イエスの生き方に学べ!ということ

イエスさまにかかわって生きる人にとって、「イエスに学ぶ」ということは避けて通れない現実です。つまり、わたしたちにとって後戻りできない生き方がそこにはあるのです。一度振り上げた手を下ろすことができないように、自ら選択した信仰の道は、前に進むしかないのです。
2012年/B年説教=主との出会い

四旬節第2主日:真の救いはイエスの十字架の死を通してしかありえない

神のなさり方には、人の思いをはるかに超えた思いと動きがあります。わたしたちの日常の苦しみ、辛さも、その先には、平安、楽しさ、安心がまっていることを確信したいものです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

四旬節第2主日:祈りができないときは祈祷書を使う。神の声に耳を傾ける

日常で、毎日の祈りができない瞬間、時、日があります。学生時代は、そのようなときは祈祷書を使いなさいと言われたものです。日常を述べる、語ることばかりではなく、神に耳を傾けることも大事ではないかということです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

四旬節第2主日:イエスの問いかけ、矛盾に見えることを受けますか?

イエスは神本来の自分の姿を「捨て」て、わたしたちの人生にご自分の人生をあわせられたのです。そして、弟子たちにその心構えをお示しになったのでした。それは、今のわたしたちに対しても同じことが言えます。
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