キリストの聖体

日曜日の聖書

キリストの聖体:イエスはパンを取り言われた。これはわたしの体である。

キリストの聖体(B年)の聖書=マルコ14・12~16、22~26 除酵祭の第一日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。
2018年/B年説教=神への道標

キリストの聖体:神のなさりかた、それは、自分を無にする。人のために!

人の世界では立場が人をより上に推し進めます。本人も役職を自覚して成長していきます。外見上も品ある姿に変貌していきます。ところが、イエスさまの場合は、みじめな姿に落とされていくのです。
日曜日の聖書

キリストの聖体:わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る。

キリストの聖体(A年)の福音=ヨハネ6・51~58 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせること・・・
2017年/A年説教=神のふところ

キリストの聖体:イエスは傷つけられても、全てを与えて私たちのいのちを保つ

お母さんがわが子に注いだ奉仕と惜しみない愛によって、子にその心が引き継がれていったように、弟子たちに注がれたイエスさまの愛が、弟子たちをとどめたのです。イエスさまの愛は、さらに、聖体の制定へと突き動かされたのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

キリストの聖体:イエスの愛の「ふくらみ」のしるしが聖体の秘跡

人の醜さが頂点に達しようとすればそれだけ、その醜さをつつみこむ愛の極みが膨らんでくるのです。その「ふくらみ」のしるし(形見)がご聖体の秘跡です。しかも、人間一人ひとりの中に飛び込んでいかれます。もろくて醜い、弱いものを身におびていながらも、いや、そのことを知っているからこそ、イエスさまは飛び込んでこられるのです。
日曜日の聖書

キリストの聖体:すべての人が食べて満腹し、パンの屑が12籠も残った

キリストの聖体(C年)の福音=ルカ9・11b~17 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
2016年/C年説教=神のぬくもり

キリストの聖体: イエスさまの思いが限りなく込められた秘跡

ご聖体をいただくたびに、わたしたちはイエスさまの十字架の死を告げ知らせることになります。イエスさまからは愛とゆるしのしるしであり、わたしたちにとっては、ゆるしと清めの恵みです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

キリストの聖体:ご聖体は交わりの場、わたしたちを養う「主の食卓」

ご聖体を食べ物としてイエスさまはわたしたちに示されました。「わたしは天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。さらに「パン」とは「わたし自身だ」と言われます。
2012年/B年説教=主との出会い

キリストの聖体:「わたしは、いつまでもあなたたちとともにいる」

いつまでもわたしたちを内側から支え、助けようとされるのです。弟子たちを通して約束されたことを、果たし、継続されようとなさったのです。それが「聖体」の秘跡です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

キリストの聖体:人には豊かな包容力のある存在者が必要

キリストの聖体(C年)の説教=ルカ9.11b~172013年6月2日 先進国がかかえる問題点なのでしょうか。さびしい、やるせない気持ちをかかえている子どもたちがこんなにまでたくさんいるとは、・・・。わたしたちが目指している人としての育ちの要...