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四旬節第1主日:「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

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四旬節第1主日(B年)の聖書

四旬節第1主日(B年)の聖書

四旬節第1主日(B年)の聖書=マルコ1・12~15

2024年2月18日

〔そのとき、〕1・12〝霊〟はイエスを荒れ野に送り出した。

13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、

15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

日曜日の説教もどうぞ!
日曜日(主日)の聖書に続いて、YASUさんの説教(メッセージ)はいかがでしょうか!
YASUさんはカトリックの神父さんです。

2024年2月18日の説教

四旬節第1主日:イエスに倣って、四旬節は”信仰を鍛える機会”にしたい
今日の福音は、これから始まるイエス自身の道のりに向かうイエスの意気込みを感じます。霊の導きに身を任せ、人間的な自分を鍛え、ひたすら霊の導きに注目し、従っていく決意が、その行動に現されています。

2021年2月21日の説教

四旬節第1主日:本来の「わたし」とはいったい何者か?を思いめぐらす
コロナ禍の予防対策は、分かっていても辛さが長く続くと負けてしまうことがあります。マスク着用をたたみかけられると窮屈さを覚えてしまいます。わたしたちは何に気づいて、どう鍛錬すればいいのでしょう。神からのメッセージは?・・・思い巡らしています。

2018年2月18日の説教

四旬節第1主日:内なる「後押し」とは?四旬節は神が与える「訓練の場」
神は「荒れ野」にイエスさまを追いやり、訓練されます。どのような苦境に追いやられても、神だけが支えであるということを体感できる場が「荒れ野」だからです。その訓練の後についてくるのが、確固たる神への信頼です。

2015年2月22日の説教

四旬節第1主日:イエスが荒れ野で受けたサタンの誘惑と試練とは?
わたしたちも、人として鍛錬され、信仰者としても鍛えられる工夫を見つけ出していく必要があります。日常の、普通の生き方の中でヒントはたくさんあるような気がします。

2012年2月26日の説教

四旬節第1主日:イエスは神であり人間のモデル、目指すべき存在者です
イエスはできることならば苦しいこと、辛いことは避けて通りたいという心と態度をとりたくなる存在者であった。それでも、荒れ野での試みには屈することはなかったのです。

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>創世記

(創世記9・8-15)

神はノアと彼の息子たちに言われた。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。」

第二朗読>>使徒ペトロの手紙

(Ⅰペトロ3・18-22)

〔愛する皆さん、〕キリストは、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。

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yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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