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年間第22主日:「わたし」がイエスに近づいたきっかけ、動機はなに?

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年間第22主日(A年)の説教⇒2026/08/30

【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される

年間第22主日(A年)の説教=マタイ16・21~27

2026年8月30日

人はいろいろ、さまざなことができて、沢山のよいことを行い、発明し、絶えず、よりよいことをするべく考え、行動することができます。それも、一人で行うより多くの仲間と一つ心で動けば、一人では想像もできないほどの成果を上げることができます。

今の世の中は、スマホ、タブレット、AI(Artificial Intelligence)技術の活用、それらと並んで、SMSをも活用した様々な便利さなどを考えてみると、その発展には目を見張ります。ついていくのがやっと(?)、いや、ついていけてはいないですね。

スマホは今や生活に欠かせない存在です。メリットは勿論のことあります。が、しかし、デメリットもあります。中には、スマホなしには一日が過ごせない人がいるとか。こうなると、「スマホ中毒」みたいな感じがしますよね。そのためにモバイルバッテリ-が必要になり持ち歩いている人がいるとのことで、これまた、心配事があります。モバイルバッテリーの事故です。物事には、いつの時代にも表と裏がありますね。

東京都中野区に、私立の新渡戸文化中学校・高等学校があります。1927年創立、共学、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の理念を実践する「ユネスコスクール」に加盟しているとのことです。高校は普通3コース制で、初代校長である新渡戸稲造が残した言葉「学俗接近」の実現を目指している学校です。(讀賣新聞西部版2026年8月25日朝刊)

この学校に在籍している高校一年生の高林愛奈さん(16歳)が投稿しています。

スマホは「友達や家族との連絡、調べ物や路線検索など、毎日の生活を便利で豊かにしてくれます。スマホのおかげで助かったと感じる場面がよくあります。しかし、便利だからこそ気づいたこともあります。LINEやSNSでは相手の表情や声が分からないため、気持ちが伝わりにくいことがあります。時々、ビックリマークが付いていないだけで『起こっているのかな』と不安になることがあります。逆に、自分にそんなつもりがなくても、相手に冷たく伝わってしまったこともあります。この経験からわたしは、表情や声を通して温かみが伝わると思いました。会話をするときは画面上でも対面でも、その人の表情や声に注意を向けたいと思います。そして、目の前の人との時間を大切にしたいです。」

いつの時代も同じことを繰り返していくのでしょうが、ある時代には、人間のある部分が発展し他の部分が衰えていく。また、次の時代にはその逆になったりと、こうしたことを繰り返して歴史は重ねられていくのかな・・・と。

今でいえば、わたし自身も感じていることなんですが、手にペンを取って字を書くという力が衰えてきました。同時に、漢字をうまく書けなくなったり、忘れてしまっていることがあります。字が踊っているんですよ。年のせいだけでもないでしょう。明らかに、ボールペンにしても、鉛筆にしても、はたまた、毛筆となると、とんといただけません。日常、パソコンの前に座って作業していると、ボタンを押すことには慣れても、指でペンをもって字を書くことが日常でなくなったので、いざ書くとなると震えがきたりします。みなさんは経験がないですか。変に力が入って、従来の自分の字ではなくなってしまいます。実は、もっとうまく書けていたのになぁ~、(?)と思うことはないですか。

このように、わたしたち人間の世界では、徐々に、その生活パターンは変化していきます。「徐々に」といっても、事によっては素早くきたり、もっと時間がかかったりと、違いはあるでしょうが、いずれにしても変化、発展をしていきます。

年間第22主日:自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい
年間第22主日(A年)の福音=マタイ16・21~27 〔そのとき、〕イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。

イエスの時代も同じです。でも、イエスの弟子たちへの教育は、何かにつけて大切な瞬間があります。いうなれば、イエスと弟子たちの関係が、一般社会、民衆の生き方に影響するようなものになっていきます。要するに、そこに住んでいる人の気持ちが変われば、その社会にも少なからず影響を与えます。しかもイエスは、多くの人々の注目の的であり、イエスにその未来を期待する人々が、一般の方々の中には多かったのです。しかし、彼らの中には、イエスへの期待に対する温度差があったのも事実です。いわゆる、イエスに近づくきっかけ、動機がまちまちです。その始まりだけではなく、イエスの話しを聞いている中で、後で、どのように彼らの中で深まっていったのでしょうか?

そのことを言い現わしているのが、きょうの福音書におけるイエスとペトロのやり取りではないでしょうか。

「イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。』それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』」(マタイ16・21~27

イエスが受難予告を行う直前に、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しています。しかし、彼が思い浮かべるメシアは十字架で死ぬはずがない力強い人物なのです。ペトロに悪意があるはずもありません。しかし、そのようなペトロは「サタン」と呼ばれてしまい、「引き下がれ」と叱られてしまいます。この言葉の真意は「わたしの後ろに退け」ということで、イエスはペトロに「消えてなくなれ」とはいっていません。「わたしの後ろに退け」といって、ペトロの立つべき位置を示したのです。これだけイエスの近くで諭しを受けながらも、イエスが「何者か」を理解してはいなかったのです。

イエスは、今のわたしたちにもおっしゃっておられます。「引き下がれ」と。時々、いや、頻繁にでしょうか、「わたしの前に立っていませんか」、こうおっしゃっていらっしゃるように聞こえて、・・。

いくら科学技術が発展しても、それらの根底には「変わらぬもの」がいつもうごめき、働き続けています。それは「人の思い」です。人が究極的に求めているもの、それは、・・・。

 

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