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待降節第4主日:神の言葉に従ったヨセフによって、救いの計画が始まった

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待降節第4主日(A年)の説教

2023年(A年)説教の年間テーマ=み言葉は「救い」の見極め

待降節第4主日(A年)の説教=マタイ1・18~24

2022年12月18日

胎児も母親も準備期間を経て喜びの誕生へ

先日、身近な知り合いの新婚家庭に赤ちゃんが誕生しました。赤ちゃんの誕生前、妊娠の初期の頃、とてもつらそうな、きつい顔をしていたお母さんが、徐々にその表情が変化していくんですね。驚きでした。当初は、とてもきつそうな顔つきに見えました。が、それがだんだんと笑顔で、「お腹の子がおなかをけるんです」と言って、徐々に「お母さんの顔」になっていくんです。今までわたしの体験にはなかった母親の姿だったので、すごいなという感覚です。

妊娠することによって、「お母さん」の中で、明らかに何かが刺激を受け、変化を遂げているんです。医学的には何も分かりませんが、一般的な普通のわたしたちにも、目に見える点において「何か」を感じ取ることはできます。それもそのはずです。約一年近くの間、自分のお腹に子を宿すのですから、・・。だんだんと「お母さんらしく」なっていくんですね。お母さんのお腹の中で、子どもはより「人間として」育ち、お母さんにとっては、本人も気づかないうちに「母親である」という自覚が育つ準備期間になっているんでしょうね。いわゆる、双方にとって新たな「育ち」の大事な期間でもあるということです。

いずれにせよ、赤ちゃんの誕生は、いつの時代においても「嬉しい」「喜ばしい」出来事であることに変わりはありません。一般的には、ご夫婦とそのご両親、その兄弟姉妹、親戚関係者等の間で祝われるのが通常でしょうが、・・。

赤子の誕生は通常、親族・関係者間の喜び

でもここに、「今や、全世界で祝われる一人の幼子の誕生があります」、というセリフを、幼稚園での聖劇の子どもの解説者が、参観している保護者に向けて宣言しています。そうです。確かに、「クリスマス」は全世界のあちらこちらで、自分たち流のやり方、あり方で祝われています。どのような意味合いでイエス・キリストの誕生は皆の「喜び」となっているのでしょうか。それぞれに様々でしょうね。それだけのよろこび方があるということでしょう。つまり、万人の心をくすぐる「誕生」であるということができます。

だれかれ関係なく祝われるイエスの誕生

このように、キリストを知る、知らないに関係なく祝われるイエスの誕生、それは何かを秘めているといえます。

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信仰者から見ると、つまり、人類の罪の汚れの中に入ってこられ、人類の汚れを背負ってくださる神、限りなくあわれみの神として示された、それが、キリストの誕生なのです。ヨセフは、このことを理解し受け止めました。その証が「天使が命じた通り、マリアを妻として迎え入れた」のです。

ヨセフの戸惑いと苦悩、心の変化を追うと

その前に、マリアは神から預かったメッセージの内容をヨセフに告げたことでしょう。そしてヨセフは戸惑ったのです。苦しんだのです。そのヨセフが悩んでいる姿を見た神は、使いを送って励ましています。その時のヨセフの心境は、どのようなものだったのか次のように記されています。マタイは「 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」とヨセフについて記しています。つまり、神の律法に忠実に従って行動することも、悩み苦しむ人をあわれみ助けることも、どちらも「正しい」ことです。だからヨセフは縁を切ろうと、それも「ひそかに」そうしようとしたのです。

ひょっとして、ヨセフには、もう一つの悩みがあったのではないかと思っています。というのは、「戸惑ったヨセフ」これが意味することです。ヨセフ自身はイエスの誕生をどのように捉えていたのでしょうか。そして、どのように変化していったのでしょう。

今日の福音書の朗読箇所の前に、長い系図が記されています。アブラハムに始まり、長々と続きます。そして、ダビデを経て、ついにヨセフにたどり着きます。このヨセフが、夢に現れた天使の言葉に従ってマリアを受け入れたのです。そして、「イエス」という名を彼がつけることによって、ダビデの血筋に入れられたのです。そこからメシアが出ると言われてきた家です。ヨセフが天使の言葉に従ったことによって、救いがわたしたちにもたらされました。

夢に現れた天使の励ましによって目覚め…

したがって、神が求める「正しさ」とは、神が起こす出来事への忠実さであるということができます。ヨセフがそれを示してくれました。とはいうものの、ヨセフとしてもはじめは「戸惑い」があったのです。彼もユダヤ人として救い主を待っていた正しい人だったからです。つまり、旧約の正しい人たちは、聖なる神の前では畏れおののき、自分たちは罪に汚れきってしまっているという自覚がありました。したがって、神から遠ざかろうとする動きが普通でした。神の存在に触れることなどできるわけもないし、神の働きにふさわしい存在であるとは到底思えなかったのです。これが彼ら、旧約の正しい人たちの信仰感覚であったのです。

そのヨセフを天使が励ますのです。神の姿を示します。それは、この地上の労苦と重荷を背負うために来られるという神の姿です。救いの神秘が明らかにされたのです。そこでヨセフは目覚めました。夢から覚めると同時に旧約感覚からも目覚めたのです。ヨセフの「戸惑い」も払しょくされました。そして、神の言葉に従ったヨセフによって、わたしたちへの救いの計画が始まったのでした。

わたしたちの人間としての「喜び」「嬉しさ」の起源は、イエスの誕生にあります。そして、そのイエスは「いつまでも」わたしたちとともにいてくださる(インマヌエル)のです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28章20節)

 

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