聖霊降臨(C年)の説教=ヨハネ14・15~16、23b~26
2022年6月5日
きょうは、聖霊降臨の大祝日です。
聖霊降臨は史実に留まらず、現在も続く
聖霊が使徒たちにくだり、教会が誕生します。この聖霊が、イエス亡きあとの弟子たちにとって、大きな役割を果たしてくれることとなりました。いわゆる、イエスの語ってきたことばと教えを、全て、ことごとく分かりやすく、弟子たちに悟らせ、導いてくれるのがこの「聖霊」なのです。
それは、現代のキリスト者にとっても、生活の中で大きい力となっているはずなんです。単に思い出の中で語られる話ではないのです。現実の生活の中で宣教され、実践されていくべきイエスの掟、言葉なのです。だから、「信仰」というのは、思い出の一つで終わってはいけないのです。今のわたしたちの世において、イエスの掟が、言葉が実践され、証しされていかなくてはいけないのです。そのために「聖霊」は弁護者としておくられているからです。
イエスの掟を守るときに遣わされる弁護者
別の言い方をしますと、イエスを愛し、その掟を守る時に「別の弁護者」が遣わされるということです。そしてイエスは「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」と言い換えているので、イエスの与える掟は、言うまでもなくイエスが語ってきた言葉であるということです。それは神と人間をつなぐ絆なのです。
確かに、弟子たちがイエスとともに生きてきたこの世での歩みは、これからも決して楽なものではないことをイエスはよくご存知です。そこでイエスは「別の弁護者」の派遣を約束されたのです。そして、彼らを慰め、励ますのです。
今の地球は、世界いたるところで新型コロナウイルスの脅威にさらされています。日々の生活は決して楽なものではありません。それも場所によって、国によって、その苦しさに、不便さにはバラつきがあります。でも、そのことが何をわたしたちに語りかけているのでしょうか。
わが国の「子育て」の現状、それも施設の今を見てみると、0~2歳児の定員の空き人数が今年の4月現在、新型コロナウイルス感染拡大前の2019年と比べ1.5倍に増えたことが分かりました。利用希望が多い年齢層ですが、進行する少子化にコロナ禍による出生数減少や預け控えが加わった影響とみられます。(南日本新聞2022年5月30日朝刊)
待機児童の解消は、政府が「ゼロ」とする目標を最初に掲げた2001年以降、歴代政権が重要課題と位置づけています。しかし、かつて週休二日制を始める時、話題になったのが「子どもを親元に」ということではなかったかと、わたしの中では記憶してるんですが、・・。この声も見事に裏切られてしまったなと思っています。何故って、「鍵っ子」が生まれる土壌を作ってしまった感がしているからです。「待機児童ゼロ」の施策は、ますます子どもたちを親元から引き離してしまうやり方かなと、これまた、わたしの中ではがっかり感が強いです。
環境の中で各自が受ける神からの語りかけ
ソニーの前身である東京通信工業を創立し、1950年同社社長に就任、世界のソニーを育て上げた井深大(いぶか・まさる)氏はその著書の中で言っています。「母親は、子どもが二歳になるまでは育児に専念すべきである」と。また、キャリア・ウーマンの大先輩ともいえる評論家の秋山ちえ子さんの言葉を引用しています。「秋山さん自身の体験から、外に出て働きたいという母親に、『いま、あなたは、ものすごくおもしろくてしょうがないときです。心がけしだいで教育者にもなれるし、栄養士にもなれるし、デザイナーにもなれるのです』と、できることなら育児に専念することをすすめています」。(「0歳からの母親作戦」より)
わたしたちは、その住んでいる場所、時代の中で、その環境からくる影響をいつも受けます。そしてそこには、いつも神からのメッセージ・語りかけがあります。神は、わたしたちとかかわっていたいからです。
そこで、保育所空き人数の増加は何を語っているのでしょう。空きが増えた理由を尋ねてみると、施設や定員数など受け皿が増えたこと、少子化、新型コロナ感染の不安による預け控え、の順となっています。そして、新型コロナの感染拡大により、わたしたちの生活環境に及ぼされたものは何でしょうか。そして、何を読み取りますか。
日常の中で、先ずは聖霊を思い出すこと
イエス亡きあとに助け手となって弟子たちの日々の生活を励まし、導いてくれた「聖霊」は、今は、わたしたちの大きな味方なのです。大事なのは、日常の中で、先ずは聖霊を思い出すことです。キリスト者としての判断、行動を目指そうとしている限り(信じる)、聖霊は動いてくれます。願いましょう、祈りましょう。今の「時」を読み取る際の導き手になるのは弁護者「聖霊」です。その時代、環境に適した判断と理解の援助者として働いてくれます。「新型コロナの時代」からどのようなメッセージを受け取りますか。
自治体の良かれと思って実践した計画事業が、新たな問題を引き起こしていることも事実です。施設数の増加に伴い、立地や保育方針が保護者の希望に合わず、利用人数がなかなか集まらないケースが出てきています。希望した園に入れないという問題は完全に解消されたわけではなく、受け皿の拡充は引き続き必要になっていくようです。
そこで出された結論は、というより今後の方向性でしょうか、次のようです。保育士の態勢や事業者の質、立地などの地域の事情にきめ細かな目配りが欠かせないこと、将来的には統廃合が必要になってくることが指摘されています。このように指摘するのは容易です。実のある効果を生み出すためには、形だけの企画に終わらないように、時間をかけ、人材を整え、知恵を絞ってほしいですね。
聖霊降臨の大祝日に、「わたし」は今の時代の要請にどう立ち向かいますか。イエスの掟、言葉を実践の場でどう生きるかが、今もいつも問われています。
やみをぬけて、霧が晴れた新たな旅立ちの日に、・・。
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