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復活節第6主日:他者との関わりを通して多くのことを学び、成長したい

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

復活節第6主日(A年)の説教=ヨハネ14・15~21

2020年5月17日

「近頃、『新型コロナウイルスに打ち勝つ』といった言葉が飛び交っていますが、サイエンティストの立場から見ると、ウイルスは生き物ではありません」とおっしゃるのは、細胞生物学者で歌人でもいらっしゃる京都大名誉教授の永田和宏さんです。(南日本新聞2020年5月11日朝刊)

「コロナ」で自他の関係を再認識した

この度の新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、自粛生活が続いております。その中で、わたしが、新たに感じていることがあります。多くの方々も同じような思いに至っているのではないかと思いますが、・・。つまり、「いかに自分が周りから影響を受けながら生活していたのか」ということです。社会との距離を実感している方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。自己と他者との関係を再認識させられたと、永田さんも言われます。

人が群れることが、こんなにまで危険であるといわれたことがこれまでにあったでしょうか。人は黙っていても群れてしまうのです。わたしたち一人ひとりは他者に向けて存在しているということです。普段はそのようなことは意識されていませんが、自ずとそうすることによって、お互いに高めあっていけるし、現に助け合っているのです。

人の成長にはお互いの「関係性」が大事

つまり、一人ひとりの成長のためには、お互いの「関係性」がいかに大事なことなのかがよくわかる事件(新型コロナ感染)となってしまいました。新型コロナ感染症の発生によって、負のイメージだけが、のしかかってはいますが、反面、今までの「日常」がいかに恵まれた毎日だったのかがよくわかります。したがって、他者に感謝すること、他者を慮ること、そして、他者に学ぶ心を日ごろから大事にしていたいものです。

今日の福音書の中で気になるみ言葉があります。「世はこの霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなた方のうちにいるからである」

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弱い弟子たちは聖霊によって大変貌した

実に、あの弱弱しい、卑怯な弟子たちが、強い使徒に変えられ、新たな活動をはじめて教会が誕生したのです。明らかに聖霊を受けた後の弟子たちの大変貌でした。聖霊を受けたのか受けなかったのかは、弟子たちにとっては、それほどまでに重大な「事件」だったのです。より積極的になり、より強くなり、より創造的になっていったのでした。

イエスの十字架は、弟子たちの弱さ、醜さを暴露してしまいましたが、復活と聖霊降臨は、弟子たちを強く前に推し進める原動力となったのでした。聖霊をいただくのに、人間の弱さ、仮に闇の部分があろうと、それらが妨げになることはありえないということです。今日のイエスの言葉がそれを物語っています。

イエスがわたしたちを拒むことはない

イエスに近づこうという心がある限り、イエスはわたしたちを拒むことはないということです。むしろ、わたしたち自身が自ら、イエスへの道をふさいでいるのではないでしょうか。それは自惚れだったり、傲慢心だったりするのでしょうか。それらは、周りの人たちからも嫌がられることですよね。人が嫌がることは、イエスも心地よく思われないということでしょう。他者との関係構築は、イエスと自分との関係のバロメーターでもありましょう。

新型コロナ感染防止対策に没頭している中、国会における「検察庁法改正案」をめぐって、「国民軽視」「独裁怖い」「公権力暴走を懸念」と批判が続出しています。2003年の志布志・県議選事件をめぐる取り調べで「踏み字」を強要された志布志市のホテル経営川畑幸夫さん(74歳)はおっしゃっています。「改正されれば、安倍首相の独裁国家になる。大臣が悪いことをしても逮捕できなくなるのではないか。冤罪被害者と声を上げていきたい」と。(南日本新聞2020年5月13日朝刊)今年1月、官邸に近いとされる東京高検検事長の定年延長が閣議決定された時から疑問を抱いていたといいます。

人の世界では、権力の高い地位にある人はますます強くなり、弱い人は隅のほうに追いやられてしまうのが常なのでしょうか。そうだとすれば、実に嘆かわしい日本の現実だと言わざるを得ません。

しかし、神はそうではないのです。弱い人、傷ついた人、一人ひとりが抱えている闇を知れば知るほど、温かなまなざしを向けてくださいます。「わたし」自身が神のそのまなざしを遠ざけない限り、・・。

自分の弱さに気づき、ゆるしを求めよう

弟子たちが聖霊の恵みを受けることができたのは、自分の弱さと闇に気づき、ゆるしと救いを求めなければいけない自分自身に目覚めたからです。イエスの十字架がそのことを教えてくれたのです。謙虚な心になれたのです。

わたしたち一人ひとりも、気づいていない自分自身を発見できるのです。「どうせわたしはこれだけの者よ」と言って、今の自分に満足してはいないでしょうか。諦めていないでしょうか。弟子たちも新たな自分発見をしたのです。命ある限り、わたしたちにも、自分の中に自らも未だ見出していない「宝もの」を見出すことができます。

他者とのかかわりを通して多くのことを学び、新たな発見をし、力をいただきます。慰めと癒しをいただき、励ましをさらなる力に変えていくことができます。いつも「かかわり」の中にいる自分と相手の方を大事にしましょう。

そこに、イエスがいます。

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