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四旬節第2主日:人の顔が一番輝くのは、内面と外面が一つになったとき

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説教の2019年・年間テーマ=「召ばれています、いつも」

四旬節第2主日(C年)の聖書=ルカ9・28b~36

2019年3月17日

「ハリのなさや、乾燥小じわなど、年齢肌の悩みはつきない。しっかりケアしたくても、忙しい毎日のなかで、手間のかかるお手入れを続けることは難しいものだ」という説明を加えながら、高保湿クリームの紹介が掲載されています。(讀賣新聞大阪本社、2019年3月8日朝刊)さらに続きます。「化粧水のあとに塗るだけで、肌に必要なケアがしっかりでき“効率的”かつ“欲張り”なお手入れがしたい女性にオススメの逸品だ」と。

顔の印象は目もと・口もとに左右される

人の顔には、見た目の「印象」を左右する大切な部分があるそうです。それはずばり、目もと・口もとです。キュッと上がった目もと・口もとは、明るく元気な印象を与えます。逆に、この部分が下がっていると、暗く話しかけづらい印象になるというのです。

わたしたち人間は、よい印象を自分でつくりあげていこうと努めています。だからといって、「印象づくり」に終始していては情けなくなりそうですが、・・。それでも、一つのことを追い求めていく中で、予想もしなかった他のいい結果がついてくるのもまた、事実のような気がします。

わたしは音楽が好きで、時々、聖歌隊の指揮をすることがありました。好きとはいっても、まったくの素人ですので、やり始めのころは、よく、自室の鏡の前で指揮の練習をしていたものです。知っている曲をBGMとして流しながら、それに合わせて棒を振ってみるんです。曲の流れと歌詞の意味合いを考えながら指揮棒を振っていますと、顔の表情の変化に気づきます。あまりいい表情ではない自分の顔を見て、これでは駄目だと思い直したものです。表情一つで、「賛美の曲」が「恨みの曲」に変わりそうな気がしまして、・・。

よく聞く言葉:笑顔の綺麗な人は得する

日常からわかっていることですが、顔の持つ魅力は誰にでもあります。特に「笑顔の綺麗な人は得するね」という言葉をよく聞かされたなぁ~と思いだします。喜怒哀楽が意識しないうちに出てしまいます。その表現度合いには人それぞれに違いがあるとはいえ,内面の心のうちが多少見て取れます。

「喜びは、目から 顔から 動作から輝き出ます。喜びは外に向かってあふれ出るもの。ですから、それを押さえつけてはなりません。あなたたちの目の中に幸いを見る人々は、自分たちが神様の子どもであることを悟るでしょう」(「マザーテレサ100の言葉」より)確かに、喜びは自然とあふれ出てきますよね。それを見て、周りにいる人々もうれしくなっていくということはよくある話です。喜びの共有は、その輪が広がれば広がるほど豊かになっていきます。

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今日、ペトロとヨハネ、ヤコブはイエスの神々しい顔に出くわします。「祈っておられると、イエスの顔の様子が変わり、衣は真っ白に輝いた」。その神々しさに圧倒され、何をどうしたらよいのかペトロにはわかりませんでした。「ペトロは自分で言っていることが分かっていなかった」のです。

イエスの顔は太陽のように輝き、衣は光…

マタイの表現を借りますと「イエスの顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった」(マタイ17章2節)とあります。いずれをとっても、弟子たちにとって、それまでに見たことのない驚くべき初めての体験だったことがうかがえます。それ故に、ペトロの言動も不安定ですし、それこそ、ペトロにとっては、わけのわからない言葉を口走ってしまったのでしょう。

イエスが祈る場面は福音書に度々登場

しかし、ペトロにとっては、精一杯のイエスとの対話でした。その時のペトロの「心」の溢れだったのではないでしょうか。それまでに培ってきたペトロの信仰表現だったような気がします。それというのも、ペトロ並びに他の弟子たちは、イエスとの関わりの中で、幾度となく、イエスの言動を見てきたのです。何を? 「祈る」イエスをです。特にルカは祈るイエスの姿を大事にしています。

大切な祈り「主の祈り」を教える時、ゲッセマネの祈りの時、その他、弟子たちを選ぶときなど、祈るイエスの姿を書き記しています。しかも、一人山に退いて、人里離れたところで、寂しいところでなど、日常の喧騒から脱出しています。そんなところで誰と相対しているのでしょう。いうまでもなく「神」のみです。周りの騒がしさから解放され、神に集中できる環境です。イエスでさえそのような状況、場所を選択なさいました。

神との関わりが深まるほど、いい顔になる

神を向き、神の自分へのかかわりを感じれば感じるほど、祈りは深まります。深まっていけば、いい顔になっていきます。その究極が今日のご変容のイエスの姿なのではないでしょうか。たとえ、今の「わたし」が神を感じることができなかったとしても、祈り続けることです。繰り返すことです。聖歌、賛美歌だって同じです。元気よく歌い続け、楽しむことです。いい顔になっていきますよ。それだけでも、見ている人、聞いている人に喜びと感動を提供することができます。その方々もいい顔になって、顔だけでなく、その人全体が前向きに豊かになります。

わたしたちの内面と外面が一つになったときに、「その人らしさ」が最高に輝き出てくることでしょう。それを求め続けていく日々です。

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