年間第5主日(B年)の説教=マルコ1・29~39
2018年2月4日
都立高校の英語の入試改革にインスパイアされて
「『話す』英語 都立高入試に」の見出しが目に入りました(讀賣新聞大阪本社、2018年1月26日朝刊)東京都の教育委員会の発表ですが、2019年度以降に試行テストを行うとのことです。「聞く・読む・話す・書く」という英語の4技能を問う入試は、大学だけではなく高校にも広がりつつあるということです。
都教委のスピーキングテストは、都立高校の受験者約5万人すべてに課す方針であるといいます。そして、学習要領に沿った独自テストを、民間試験団体の協力を得て開発するようです。また、試験官と会話する面接方式やタブレット端末で受験者の声を録音する方式が検討されています。
その背景には、英語教育で4技能重視が強まっていることがあります。2021年度から実施される次期学習指導要領では、自分の気持ちや考えを英語で伝えあう言語活動が一層重視されていきます。
都教委の場合、2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて英語教育の強化策も打ち出しており、担当者は「高校入試が4技能評価になれば、小中高での『話す』指導の一層の推進につながる」と期待しているようです。
このような「英語」教科に関する、新規導入乃至変更内容を見たり聞いたりするたびに、思うことがあります。
私たちの世代は試験のための「英語力」だったような
自分が中・高校のころを思い出しますと、「英語、英語」と教師によくいわれたものですが、反面、「国語、国語」と言われたことはなかったように思います。仮に、全般的に国語の試験結果が良くなかったとしても、・・。そして、英語は英語で外国人に通用しない英語であったりして、自信を無くしてしまった体験があります。
あの頃から、試験のための「英語力」であって、実際の生活を生きるためには、さほど影響力のないものであったように思います。「スピーキングテスト」という新しい様式が、「テスト」用で終わらないことを願います。また、「試験制度」をいじる前に、もっと大事な、改良する点があるように思えるのですが、・・。
言葉はコミュニケーションに欠かせない大切な手段
言葉は日常のものであって、生活についてまわります。他者とのコミュニケーションに欠かせない手段でもあり、自己表現をして相手に自分を受けとめ、理解してもらう道具でもあります。そして、人間性を高め、豊かにし、その人の「人となり」に大きく影響していきます。その結果、わたしたちの日々の生活に潤いをもたらしてくれるものでもありましょう。「国語力」がもっと問われてもいいように思っていますが・・。
現代は華やかで快適な生活を追及しているが・・・
こうした社会環境に今、わたしたちは生きています。この現実を否定したくても、否定することはできないのです。現代のわたしたちの社会、特に、日本の社会は華やかで、快適な生の追及に人々の目が向けられています。少しでも幸せな、楽な生活を追求しその実現に向かって、さまざまな試み、努力を傾けています。科学技術の進歩も、あくことのない幸福の追求の手立てなのではないかの感をぬぐえません。
発展の裏にある人間のもろさ、はかなさにも目を!
このような動きの知られざる背景にあるのは、実は、人間のもろさ、はかなさ、弱さを前提としたものではないかということです。「生活の発展」の追及の裏に、こうした現実があるなんて意識したことはないでしょう。だから「知られざる背景」なのです。
でも、わたしたちは、人間の悲しい、みじめな姿に目覚めないといけないでしょう。否定しようにも、自分の一存でなくなるわけではないからです。どんなに社会が進歩し、医学が進んでも、表面上は華やかに見えても、人間個人のみじめな姿は、人知れずあちらこちらで表面化しています。物が豊かになり、生活が便利になっても、弱さ、もろさはいつまでも人間についてまわります。覆い隠すことはできないのです。
人々は日常を抱えたまま、イエスのもとに集まった
日常の姿(様々な病気、苦労)を抱えたまま、民衆はイエスさまのもとに集まってきます。ひたすらイエスさまを探し求めます。この「ひたすらさ」が大切です。必至なのです。その必至さがイエスさまに伝わり、イエスさまの心に響きます。人々は、自分のみじめさ、悲しさ、やるせなさを直視しています。だから「必至」になれるんです。
イエスさまご自身、十字架の苦悩を身に負ってくださっているからこそ、わたしたちのみじめさに寄り添ってくださいます。共に背負ってくださいます。「労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11章28節)とおっしゃっておられます。
今の自分の人としての「わたしらしさ」は何なのでしょう。日本社会という環境に生まれ、育ち、教育を受け、恩恵をいただきながら大きくなり、そして、弱さを持ちながら、間違いながらも託された使命を生きようとしています。いつも振り返りながらその時の自己を直視し、「人間」としてちょっと前へ進みたいですね。
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