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年間第32主日:「今」の現実に魅かれながらも、未来の自分に目覚める

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2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

【神のふところは限りなく大きい】

年間第32主日(A年)の説教=マタイ25・1~13

2017年11月12日

人間が存在するところ、必ず、何か事件が起こります。事故が発生します。それでも、人はよりよく生きる姿を求めて前に進もうとします。事実、そうして今を生きています。生きてきました。

17名の拉致被害者家族と米大統領の面談から

アメリカのトランプ大統領が来日しました。自国・アメリカでは支持率も低いながら、幾多の問題点を指摘されながらも、元気に到着し、日程を無難に過ごしたようです。

その日程の中で、北朝鮮による拉致被害者との面談がありました。これまでに、アメリカの大統領と拉致被害者との面談は二回ありました。今回で三回目だそうですが、一回目は2006年のブッシュ氏、二回目は2014年のオバマ氏です。過去二回と大きな違いがあります。それは、拉致被害者家族の面会人数です。初回のブッシュ氏の時は2名、二回目のオバマ氏の時は3名、今回はなんと17名でした。

家族らはトランプ氏を囲むようにして座り、約一メートルの近さで向かい合って面談ができたようです。家族の方が写真を見せると、トランプ氏は自ら手に取り、見つめてうなずいたり、メラニア夫人と一緒に見て「ひどい」と首を振ったりしていたようです。

被害者家族は未確定の将来に期待して生きている

1970年代を中心に、1980年代にかけて頻発した北朝鮮による、いわば、国際犯罪事件の解決は、一向にその光が見えません。家族の高齢化に加え、なかなか進まない問題解決への話し合い。被害者家族はもちろんのこと、日本国民も焦りと憤りが募ります。未だに、はっきりとは見えないゴールに向かって、それでも、必死に望みをつなぎ、未確定の将来に、さらに期待しながら「今」を生きようとします。そして生きてきたのです。

拉致事件から約40年、未だに解決への入り口が見えない

日本国政府が初めて北朝鮮の拉致事件を認識したのは、1988年3月の参議院予算委員会でのことだといわれます(Wikipedia)。国家公安委員長・梶山静六氏の答弁の中でした。最初の拉致事件がいつだったのかわかりませんが、それから40年前後、全く解決への入り口が見えないのです。拉致被害者家族の絶えない署名活動、その他講演会等の開催、コツコツと続ける解放への運動は、若い人にも引き継がれ、認識されて来たような気がします。とはいっても、いつ訪れるかわからない解放の時を待ちながら、全神経を、生活全体をそこに集中させていくのは並大抵のことではないでしょう。

信仰では「未来の現実」をしっかり認識することが大事

拉致被害者家族のこの生きる姿は、信仰の世界に生きる人の歩みと重なります。信仰の世界は「未来の現実」をしっかりと認識し、受けとめることが大事になってきます。つまり、天国、地獄、最後の審判等の「現実」を知り、認め、今の自分のあり方、生き方を見つめ、歩を前に進めることです。

体験したこともない世界の「現実」をいかにして受け止めるのか、そこに「信仰する」ことの大切さが求められます。未確実な、未知の世界の価値を評価して、賭けていくのです。これは人間のみにできる能力ですし、「今」を充実したものにしてくれる、ある方からの恵みであり、力です。

年間第32主日:その日、その時を知らないのだから、目を覚ましていなさい
年間第32主日(A年)の福音=マタイ25・1~13 「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

わたしたちは、未来志向を持ちながらも、現実志向をも持ちあわせています。得てして、後者の方に魅力を感じてしまうのも体験済みの事実です。その姿を描いているのが今日の「5人の愚かな乙女」の言動でしょう。

未来志向と現実志向の狭間で生きている私たち

大きな催しがあるときは、周到な準備をします。計画表を作り、予想できる、必要性のある精一杯の可能性を盛り込みます。それでも、予想外の出来事は発生します。だから、また、ハプニングに備えた準備も考えます。「賢い乙女たち」は、花婿の到着遅れ(ハプニング)に備えて、余分の油を準備していました。「眠気に襲われる」という現実の疲れにはどうしても勝てないのです。それが、ありのままの乙女たちの姿でした。

将来の現実がどれだけ重要なのか気づきたい

わたしたち普通の人間には、未来の、不確かな現実よりも、確かな「今」の現実の方に魅力を感じてしまいます。また、負けてしまいます。そこで、将来の現実がどれだけ自分にとって重要なのか、そのことを自分がいかに感じているのかによって、今の自分の生き方に違いが生じてくるということです。乙女たちもそうでした。花嫁に付き添う、という役割の重大さが分かっている乙女と、そうでない乙女の差が出てきたのです。

現代に生きているわたしたちも、天国のこと等の重みをしっかりと受け止め、今の自分のあり方に目覚めていきたいですね。いつその時が来るのかわかりませんが、大先輩がおっしゃっていた言葉を思い出します。

「元気な時に、よき死を遂げることができるように、毎日、祈り、願いなさい」と。

そして、拉致被害者の家族のみなさまの望みも叶いますように願い続け、共に祈りましょう。

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