復活節第4主日(A年)の説教=ヨハネ10・1~10
2017年5月7日
「子どもの前で相手の悪口を言っていませんか」「親権を得ることを勝負と考えていませんか」。先日の新聞の「変わる家族」というコラム記事の一文です。(讀賣新聞大阪本社版2017年5月2日朝刊)
「家庭事件」は年間百万件を超え、家裁の役割が広がった
全国の家庭裁判所に申し立てられた離婚や相続、成年後見などの「家事事件」が、昨年は年間百万件を超えたという話です。家族のかたちが変容する中、家裁が担う役割も広がってきているといいます。
大阪家裁に出された離婚調停の申立書を読んだ調査官は、次のように考え込むんだそうです。「親の感情ばかり。もう少しお子さんの立場も考えてもらえないか」と。子育てに熱心な父親「イクメン」の広がりが皮肉にも「子の取り合い」の激化につながっているといいます。
大阪家裁では全国に先駆け、講座型「親ガイダンス」を開講
こうした現状を踏まえて、大阪家裁が全国に先駆けて始めたのが講座型「親ガイダンス」でした。開講以来一年余り、参加者が約900人になりました。参加者の意見には「きれいごと」「頭ではわかっていても、感情的に納得できない」といった言葉もあります。それでも調査官は「わたしたちは、ただ調停が成立すればいいというのではなく、子どもの未来から目をそらさずに臨みたい」と、その思いに揺るぎはありません。
「子どもの未来から目をそらさず臨みたい」思いで始まった
この揺るぎない心情は、長年、調査官としてこの仕事にかかわってきた職員の、心底からの思いであろうと感じます。家庭の不和でよりどころをなくし、不安定のまま非行に走ってしまった少年たちを数多く見てきた結果です。親御さんの、争いに我を忘れる夫婦を見て、子どもが戸惑い、心をすり減らしていないか、気になって仕方がないそうです。
いつの時代にも子どもたちは未来の社会共同体の担い手
いつの時代も、子どもたちはその未来の社会共同体を担っていく存在です。その子どもたちに、生きている喜び、安心、楽しさが芽生えるのは、まさに幼児の時代ではないでしょうか。人としての土台が培われていく大切な時期です。いろいろな意味で好奇心が強く、挑戦心が旺盛で、吸収力が絶大です。
なんといいましても観察力が素晴らしいです。言葉が十分にわからないとはいえ、見て聞いて記憶にとどめ、吸収していきます。子どもの育ちには、子ども自身がもっとも安堵できる環境が必要です。大人にとっても同じです。その時期に、親同士の不協和音から家庭全般に漂う「不和」の空気は、おいしい空気とは言えないでしょう。
今日の福音のことばは、子育て中の親子関係を想起させる
「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは、自分の羊をそれぞれの名で呼んで連れ出す」。今日の福音の言葉は、実に、子育て中の親子関係を想起させます。
母親は泣き声で自分の子を識別し、泣き方でその要望まで分かる
お母さんは赤ちゃんの泣き声を聞いてわが子であるかどうかがわかるといいます。さらに、泣き方によって、わが子が何を欲しがっているのかわかるお母さんがいるとも聞きました。すでに立派な親子の会話ですね。
羊は自己主張することなく、羊飼いに完璧に頼り切っている
「わたしは羊の門である」とイエスさまは言われます。誰もが通る入り口です。ここを通らないものは盗人です。盗人はものを盗み、その家の人を滅ぼすために中に入ろうとします。しかし、「わたしが来たのは羊に命を得させ、しかも豊かに得させるためである」とおっしゃいます。
羊の歩みは、実に穏やかでゆったり、しかも、何の警戒心を示すことなく、自己主張をすることなく、羊飼いの後を黙々とついて行きます。完璧に羊飼いに頼り切った羊の姿がそこにあります。
羊飼いのイエスは私たちを名指しで覚えられ、呼ばれている
幼少期の子どもたちも自己の言いたいこと、したいことをいうわけでもなく、ひたすら親御さんのなす姿を見てついて行くだけです。一番安心できる時なのです。自分の居場所をしっかりと見つけることができるのです。それだけに、羊飼いの役割は大きいものがあります。
羊飼いのイエスさまは、わたしたち羊を裏切ることがありません。名指しで覚えられ、呼ばれているのです。このことに目覚め、日々の生きる関わりの中で、イエスさまの「声」に気付きたいですね。
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