四旬節第3主日(A年)の説教=ヨハネ4・5~42
2017年3月19日
人はみな周りに影響を受けながら生活している
今、「わたしはここにいる」という事実を取り上げたとしても、自分自身一人で生きていると考える人はいないしょう。何も哲学的な話をしようというわけではありません。「生きている」ということは、苦しいこと、悲しいこと、辛いこともたくさんありますが、逆に、楽しいこと、嬉しいこと、ワクワクすることもあります。
それは、自分の周りにいる人々に影響される場合が多いのではないかということです。ということは、いつも、わたしたちは人々の中で生活し、お互いに成長していくという現実があるからです。ごく当たり前のことですが、通常はあまり意識しません。いい意味でも、そうでない意味でもショッキングな出会いがないといいうことでしょうか。
女優・東ちづるさんの体験に学ぶべきこと
先日の新聞記事のコラム欄「伴走記」に、女優の東ちづるさんの紹介記事が掲載されていました。「アルコール依存症の現場から」という副題がついています(讀賣新聞・大阪本社版2017年3月13日朝刊、)。
父親の苦しみに気づくことができなかったことを後悔
東さんは、父親をアルコール依存症で亡くされたということです。2002年、ご家族の体験を告白する本を出版し、大きな反響を呼びました。それ以後、依存症の啓発に取り組んだといいます。その動機を語っています。「父が依存症で亡くなったことを無駄にしてはいけないと思って。父がなぜそこまで飲んだのかはいまだに分からない。家庭のなかに居場所がなかったのかなあとも考えます。父の生きづらさをもっと理解しようとするべきだった。ごめんなさいって・・・後悔と未練が残りました」と。
世間への体面を気にして問題を抱え込んでいる家族がいかに多いことか。彼女自身もそうだったといいます。そして、依存症と向き合い、その本質を見つめてきたからこそ言える言葉です。「依存症は恥ずかしい病気ではありません。恥ずかしいと思うのは世間というフィルターを通すから。世間なんかオバケです。いると思えばいるし、いないと思えばいないんです」と言い切ります。
家族が一番影響力が強く、かつ近い存在
女優業の仕事を果たしながら、その知られざるところで、大きな問題を抱えての日々だったようです。家族のメンバーは、それこそ一番影響力の強い近い存在者です。しかも、親がその中心対象となると、考え、感じるところ大ではないでしょうか。彼女自身が語っていることではありませんが、父親との体験を経て、彼女自身がかなりの変化を感じているのではないでしょうか。生き方の姿勢、関心、かかわりのあり方の是非等、それまでとは違った「自分」を感じて生きているような気が、わたしにはしてなりません。
イエスとサマリアの女との長い対話から学ぶこと
四旬節の第3主日を迎えました。今日は、福音書の中でイエスさまがサマリアの女と長い対話を交わした様子が紹介されています。イエスさまが旅の疲れゆえに休んでいたところに、サマリアの女が水を汲みに訪れます。「水を飲ませてください」とイエスさまがお願いします。わたしたちの日常と何ら変わることのない、普通の人との会話に見えます。
人生を左右する出会いは誰にでもある
わたしたちも、あの時、このコーチとの出会いがなければ、今の自分はいないのだ、というアスリートがいることを知っています。何もアスリートだけでなく、日常に生活しているわたしたちの周りにおいても、元気をいただいたとか、やる気を出させていただいたとか、もう一度前向きに生きてみようという勇気を引き出していただいたとか等、それぞれに体験を持っていらっしゃるのではないでしょうか。
サマリアの女はイエスとの出会で心を揺さぶられた
サマリアの女も、生活のどん底を体験している一人だったのでしょう。曖昧な自分の今の生き方に終止符を打つべく、今日のイエスさまとの出会いによって、その心を揺さぶられます。「あなたの夫を呼びにいって連れてきなさい」というイエスさまの言葉に「わたしには夫はありません」と答えます。
今、同居している男性が夫と呼ぶことができるような出会いではないことを、心のどこかで感じ取っているのでしょう。いわば、一人の「女」として生きることへの渇望があったのではないでしょうか。「主よ、わたしが二度と渇きを知らず、ここに水を汲みに来ないでもよいように、その水をわたしにください」。
心の壁が取り払われ、新しい生きる水が流れ込んだ
サマリアの女は、イエスさまによって心の覆いを、冷えきった心の壁を取っていただきました。すべてがさらけ出されたのです。そこに新しい生きる水があふれるほどに流れ込んできました。生き方に大きな変化が出てきました。自らが人々の間に入っていくのです。わたしたちも生きている実感を、イエスさまとともに感じ取りたいです。そのような出会いを日々、実現させたいです。それは、自分の目の前にいる人との出会いから始まります。
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