年間第21主日(B年)の説教=ヨハネ6.60~69
2015年8月23日
第二次世界大戦が終わり、70年を迎えた今年、マスメディアでは様々な企画のもとに、関連ニュースが報道されています。兵士として参戦し帰還した方、戦死された方のご家族の体験記、現代の若者たちの感想等、その報道の中身をどう受け止め、どのように「わたし」の中で生かすか、その人個人の考え一つですね。
「一度始めると、途中で止められない。それが、戦争なのです」と、鹿児島市遺族会会長の山元正光さん(79歳)。—讀賣新聞・西部版2015年8月14日-
こうした話は理詰めでわかるものではなく、人としての「感性」がわからせてくれます。先の山元さんの言葉にしても、理屈で考える必要はないように思います。聞いただけで、読んだだけで「なるほど」と頷ける内容です。どうして? 実際に体験なさってきたご本人であることを、どこかで信じているからでしょう。語ったその人に信頼をおいているのです。
「信じる」ということは、まさに、その人に向かうことであり、その人を見つめ、その人にゆだねることなのです。論理的にわかりにくいことがあっても、その人を信じているがゆえに受け入れていくことができます。納得できなくとも了解していくのです。言葉より先に「その人」を受け入れているからです。だからともに歩んでいくいことができます。
今日の福音の弟子たちがこのことを証明してくれているように思います。その頂点はペトロの宣言です。「主よ、だれのところに行きましょう。あなたは永遠のいのちの言葉を有しておられます」と。
それまでイエスさまについてきていた弟子たちが、一人また一人と離れていきます。イエスさまのもとに残ったのは12使徒になりました。イエスさまは言います。「あなたたちも去ろうとするのか」。
これに対するペトロの答えが先ほどの宣言です。ペトロは信じますとも信じられないとも言っていません。ペトロはイエスさまの言葉ではなく、直接イエスさまご自身に向かっています。イエスさまを信じ切っています。そうです。だから信仰宣言なる言葉が発せられました。
わたしたちの日常生活の中で、よく体験してきたことではないでしょうか。こうした「人の能力」をもっと大事にしていきたいものです。人を、神を信じて生きることは、その人をもっと豊かに魅力ある人柄にしていきます。たくさんの体験をしてきた先輩たち、親の言い分には理屈抜きの知恵が秘められています。神に感謝!
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