三位一体(B年)の説教=マタイ28.16~20
2015年5月31日
大相撲甚句に次のようなひと節があるそうです。「土俵の砂つけ/男をみがき/錦を飾りて/母待つ国へ・・」と。この夏場所10日目、横綱日馬富士戦で初の金星を手にした平幕の臥牙丸関(28歳)の歓喜は、ただ事ではなかったようです。
「ボク勝ったの?信じられない。金星は一生残るし、めっちゃうれしい。神さまありがとう」と、インタビューで神さまにお礼を述べたんだそうです。こんな人あまりいませんよね。これだけ喜ばれたら、横綱日馬富士としても、いくら負けたとはいえ本望だろう、とは解説者の元横綱北の冨士さんです。
臥牙丸関の故郷グルジアでは、病気療養中の母親が一人暮らしをしているといいます。毎日の電話を欠かさないそうです。あの相撲甚句が彼の中にあるのでしょうか。ここに親子の愛情関係、絆を見る思いがします。
わたしたち人間の世界では、愛の関係、絆の中身が分かるように外に表現されます。言葉で、行動で、仕草で。これが人としての普段の姿ではないでしょうか。そして、その関係は深まり、高まっていきます。現実には頼りになるし「お陰さまで」と言いたくなります。
こうした人間関係だけではなく、さらに信仰者にとっての「お陰さまで」とは誰に言いたくなるのでしょう。もちろんのこと、神に向かってです。
今日は三位一体の主日です。神の姿を、ご自身を、その中身を示そうとなさっているのが今日の祝日です。神の内面の啓示です。父と子は互いに交流しあい、与えあい、そして第三のペルソナ聖霊が、父と子の愛の結びとして発出します。
わたしたちの信仰は、この三位一体の神の愛の交わりの中に入れられていくことなのです。信者として生きることは、キリスト教的ヒューマニズムを生きることではありません。神の愛の関係に参与することです。そして、イエスさまがわたしたちのためにお祈りくださったように、三位一体の交わりの中で一つになることです。
わたしたちの身近な生活の中で、「愛の関係」とはどのようなあり方でしょうか。そこに喜び、安らぎ、ホッとするものを感じますか。感じるとすれば、神との関係ではもっと豊かなものになるのでしょう。臥牙丸も親子の愛のかかわりの中で、人としての成長を見ることができたのではないでしょうか。「お陰さまで」と言いたくなるのです。
イエスさまはどのような思いで最後の祈りをしてくださったのでしょうか、思い起こしてみるのも大事なのでは・・?
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