年間第7主日(A年)の説教=マタイ5・38~48
2011年2月20日
わたしたちは、互いの権利を理解し、尊敬し、大切にしあうことによって平和と秩序を保っています。権利が侵され、無視されていけば、互いに傷つきあい、混乱してきます。また、権利の主張ばかりにこだわっていくと、これまた、人間のエゴイズムにぶつかり、社会も自らも平和と秩序を失っていきます。
人の中にある欲求や欲望を無理やりおしとおそうとすると、他の人の権利を踏みにじる行為になります。これに歯止めを与えようとして作られたのが「目には目を、歯には歯を」という原則でした。つまり、無制限の復讐に歯止めをかけるためでした。
それは誰かが、他人から自分の権利を傷つけられたら、被害を受けただけの賠償を要求することができるというもので、被害を受けた以上のつぐないを要求することを禁じるためのものでした。
こうした法律も意味がありますが、イエスさまはさらにこの上のことを求められます。ゆらぐことのない絶対的な平和の基盤として、おん父の心を示されます。「天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を上らせ、また、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせて下さる」のです。
ご自分を無視する悪人を余計に心配なさっています。

年間第7主日:敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ!というイエスの教え
年間第7主日(A年)の聖書=マタイ5.38~48 あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
またイエスさまも、ご自分が神であることを固持しようとはせず、十字架上の死に至るまでにご自分をわたされたのです。いわゆる、権利の放棄です。しかも、生きる権利を人々の救いのために放棄なさったのです。そして今のわたしたちがあります。わたしの命も他者のために開かれています。そうあり続けることがわたしたちキリスト者の理想であろうと思います。そこに生きがいがありますか!?・・・。
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