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"年間第2主日"

アキラさんの絵手紙

イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた—絵手紙2019

Sunday Liturgy 模写 2019年1月20日 年間第2主日 イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた(ヨハネ2-11) Kana of Galilee
日曜日の聖書

年間第2主日:イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行った

年間第2主日(C年)の聖書=ヨハネ2・1~11 〔そのとき、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第2主日:イエスは日常の「些細なこと」でも取り上げて下さる

マリアはそっとイエスに囁きます。「ぶどう酒がありません」と。さらに、給仕している人たちにも言います。「何でもこの人の言うとおりにしてください」と。マリアの配慮は、イエスがいつどのような形であれ、人の営みに関わってくれるであろうというマリアの確信の現われです。このマリアの姿からわかることは、わたしたちの日常のどんなに「些細な」ことでも、神の前に差し出すことができるということです。
日曜日の聖書

年間第2主日:イエスは「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。

年間第2主日(B年)の聖書=ヨハネ1・35~42 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
2018年/B年説教=神への道標

年間第2主日:神との関係で方向転換を!そこに人の本来の生きる姿がある

イエスを理解し、魅せられていく。そして、イエスとともに歩いて生きていくことが、信仰者の中心にあります。そうすることで、すべて存在しているものの互いの関係性、存在評価が見えてきて、安定して生きることを楽しむことができます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第2主日:日常の中でなされる神からの「呼びかけ」を無駄にしない

年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1.35~42 羊飼いにしても、東方からの訪問者たちも、神から差し出された日常的な呼びかけに応え、隠された神の救いの計画の中に引き込まれていったのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第2主日:人の営みに神がみずから関わって下さる

水がブドー酒に変わったことは、人間の営みの次元のものが、イエスさまのかかわりによって恵みの次元にまで引きあげられるということを物語っています。
日曜日の聖書

年間第2主日:洗礼者ヨハネはイエスを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」

年間第2主日(A年)の福音=ヨハネ1・29~34 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。

鹿児島の教会

2014年1月19日(年間第2主日) 郡山司教が玉里教会で行ったミサ説教 2013年12月3日(ザビエルさまの記念日) 12月3日にザビエル教会で行われた聖フランシスコ・ザビエルさまの記念ミサにおける郡山司教の説教です。 ...
2017年/A年説教=神のふところ

年間第2主日:本当の救いを求めて燃えていることを目指しましょう。

洗礼者ヨハネの弟子たちにとって、イエスさまとの出会いは恵みでした。それは、ヨハネとの出会いの時に決定づけられていたということができるでしょう。つまり、ヨハネが持っていた神への情熱にふれたときに、彼らはすでに、イエスさまへ方向づけられていたといえるのではないでしょうか。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第2主日:「あのかたは栄え、私は衰えなければならない」という洗礼者ヨハネの生き方

洗礼者ヨハネと弟子たちとの出会いは、弟子たちにとって恵みのときとなりました。そうなったのは、弟子たちの心の持ち方もさることながら、ヨハネ自身が何かを持っていたからでしょう。ヨハネは荒れ野で叫ぶ声、光をあかしする者、ぜいたくもせず砂漠の中で純粋に神の世界を求め救いに飢え、待ち望んでいたのです。いわゆる、神に対する情熱でした。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第2主日:カナの婚宴の奇跡に学ぶことは、懸命の祈りと願いは叶う

神は救ってくださるお方。ゆめ忘れてはいけない大事なことです。つまり、祈り、願いの内容は神にゆだねたらいいのです。必死に祈り願ったことがあったでしょうか!?
2012年/B年説教=主との出会い

年間第2主日:世話を受ける側から世話してあげる側にまわる

ヨハネから促されてイエスさまについていった二人の弟子は、その滞在場所を見、そこに留まったのです。イエスさまから何かを受け、何かを感じたからこそこうした行動に出たのでしょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第2主日:「わたし」の生きる原理はどこに根ざしているのでしょうか

イエスさまの生きる基になっているのは、ヨハネが指摘した「世の罪を取り除く神の小羊」としての役割なのです。しかも、その「原理」は愛情に満ち溢れています。