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年間第22主日:人が協力しあうとき必ず誰彼の自己否定を伴う

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年間第22主日(A年)の説教=マタイ16.21~27

2011年8月28日   

神のみことば

この度の菅総理の退陣を受けて、讀賣新聞の特別編集委員・橋本五郎氏がその朝刊に掲載しています。菅総理の後任選挙に関して、「民主党の代表選は日本の国の首相を決める選挙である。それなのに眼前で繰り広げられている光景は異様である。党員資格停止中の小沢元代表や、国益を毀損して辞任したはずの鳩山前首相を中心にした多数派工作が展開されている。権力闘争とは所詮こんなものと見過ごすには、あまりにも不健全な姿ではないか」と(2011年8月27日朝刊西部版)。

国民へのインタビューを聞いても、国民の生活を安心、安定させてくれる人に首相になってほしいという方々が多いようです。それでも、私利私欲に走りがちになってしまう人間がそこにはあります。そのために権力を得たいのでしょうか。

しかし、自分が今こうあることの、根本的な根拠はどこにあるのか。それは宗教(信仰)からしか出てこないのではないでしょうか。今日の福音は「神のことを思う」のか、「人(自分)のことを思う」のかの選択が迫られています。

ペトロは信仰宣言をしたとき、イエスさまに称賛されました。その直後、今度は「サタン」呼ばわりされるのです。信仰宣言は、ことばとしては正解でしたが、その内容に関して、一般の人たちと同じユダヤ人の常識を超えることができなかったのです。「神の思い」と「人間の思い」の落差の大きさを感じさせるイエスさまの決意に同意できなかったのです。

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十字架を受け入れることは敗北を意味したのでした(ユダヤ人の常識)。そして、イエスさまの前を歩いて、イエスさまの歩みを邪魔してしまう(サタン)結果となりました。こうした人間常識の中では、苦しみの価値は評価されません。

しかし、愛という世界から見れば、苦しみは価値をもってきます。人が互いに協力し合って生きていくとき、だれかれが、必ず自己否定をしなくてはいけません。自己否定のあるところには苦しみがついてまわります。すなわち、愛の生き方には必ず苦しみが伴うということです。それをその生き様で示したのが、イエスさまの歩む道だったのです。それが十字架(神の思い)の道でした。

この世でも、みな一人ひとりが自己否定をする覚悟があるなら、この地球での生活も大きく変化し、楽しい、充実した日々になることでしょう。世の権力者にお願いしたいですね。そしてわたしたちも目覚めて、大きな輪(和)を作りたいです。

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