
年間第19主日(B年)の聖書
年間第19主日(B年)の聖書=ヨハネ6・41~51
2024年8月11日
〔その時、〕6・41ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、
42 こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。
44 わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。
45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。
47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。
48 わたしは命のパンである。
49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。
51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。
日曜日の説教もどうぞ!
日曜日(主日)の聖書に続いて、YASUさんの説教(メッセージ)はいかがでしょうか!
YASUさんはカトリックの神父さんです。
2024年8月11日の説教

2021年8月8日の説教

2018年8月12日の説教

2015年8月9日の説教

2012年8月12日の説教

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。
【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。
第一朗読>>列王記
(列王記上 19・4~8)
彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」
彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」
見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、
エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。
主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。
エリヤは起きて食べ、飲んだ。
その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。
第二朗読>>使徒パウロのエフェソの教会への手紙
(エフェソ4・30~5・2)
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。
キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。
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