年間第12主日(B年)の説教=マルコ4.35~41
2015年6月21日
毎年のことながら、梅雨の時期が終わりに近づきますと、どこかで大きな災害を受けてしまいます。沖縄は22日間の梅雨の期間で梅雨明けし、奄美も明けたようですが、他の地域ではまだまだ本番中です。
がけ崩れ等が起こる場所は、土地開発の名のもとに人の手が入った場所がほとんどではないかと思います。天候が良好の時は何も問題がないのですが、一度、その状況が不利な状態に変化すると、それこそ想定外の災害を引き起こしてしまいます。
長期な豪雨に見舞われますとたちまちのうちに形を失くしてしまうのが現実です。今年は、大変な災害がないといいのですが、・・・願っております。
今日の福音は、わたしたちが日常感じることのできる、わたしたちの心の卑近な状況を示しているような気がします。今日の出来事の中心は弟子たちです。
その弟子たちは、通常は群衆に囲まれ、イエスさまには特別にかわいがられ、他の人々よりも親しくイエスさまに接することができたはずです。ひょっとして、有頂天になって毎日を過ごしていたかもしれないのです。順風満帆の状態です。
ところが、今日の福音のように、湖の上で強風に襲われると、しかも突風です。船乗りとしてはプロのはずの彼らでさえ、うろたえるのです。今までになかった、体験したことのない激しい風だったのでしょうか。いわゆる、危機に直面して右往左往してしまいます。「わたし」の中で「災害」を蒙るのです。
通常の状態の時に持っていたイエスさまへの信頼はどこへやら、・・。彼らの心境は、同じ人間としてわからなくはありません。こうした不安は、わたしたちも日常体験するからです。
一方で、こうした弟子たちのあわてぶりをよそにして、イエスさまは艫のほうで一人静かに眠っておられます。この姿は、天のおん父のふところの中で生きておられる姿、象徴と言えるでしょうか。
弟子たちにはできていなかったのです。そして今のわたしたちは、・・?
そして、イエスさまは嵐をしずめます。この行動は、天のおん父の力強さがイエスさまの中で働いていること、生きていることをあかししています。
わたしたちは不安を感じますと心拍数が多くなり、脈が速くなります。非常事態になりますと、普通でいられなくなるのです。「わたし」ぜんたいに影響してきます。そうだからこそ、日々の訓練は大事です。不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう。有頂天にならず、謙虚に主に戻りましょう。
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