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復活節第5主日:人には安心感のある関わり、繋がり、絆が大事

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復活節第5主日(B年)の説教=ヨハネ15.1~8

2015年5月3日

message-eyecatch2毎年のことながら「安全運転講習会」に参加します。みなさま方にも同じ体験をなさる方がいらっしゃると思います。約一日かけて開催される講習会ですが、正直に言いまして、喜んで参加している人が果たして何人いるだろうかと考えてしまいます。でも、参加者は大勢です。

この講習会でよく言われることの中に、「思い込み運転」の危険性が大きいといいます。「思い込む」ということは、あまりいい意味では理解されていないように思います。確かに辞書で調べてみても、「事実。真実でないことを、予断や偏見で堅く信じて疑わなくなること」と表現されています。

しかし、「深く心に思って、その思い通りにしようとすること」とも書いてあります。それでも、「自己中心」になっている感はぬぐえません。また、確かに「安心感」もそこでは育たないと言えます。

わたしたちの行動は、単独(一人)でやったとはいっても、周囲のだれかを巻き込んでしまっています。これが日常のわたしたちの生活です。誰かとの繋がりが、意識的に、また意識されなくても出来上がっていきます。基本的に人は人を求め、そのかかわりの中で成長し、人として豊かになっていくということでしょうか。

この時に大事なのが「安心感ある関わり、繋がり、絆」です。逆に、わたしたちがどこかにとどまり、誰かにつながっているという時、「わたし」の中に安心感、信頼感があるからこそ実現していることといえないでしょうか。

今日のブドウの木とその枝の話は、最後の晩餐の席でなされたものです。それから間もないうちにイエスさまは捕えられ、弟子たちのもとから奪い取られてしまうのです。ということは、弟子たちの人間としての弱さが露呈してしまう時でもありました。

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主の十字架の前では、ペトロをはじめとする弟子たちすべてが、自分たちの根源的な弱さを体験することになったのでした。 だから「繋がっていなさい」というイエスさまの言葉は重いのです。

主とともにいるときのあの安堵感、強さ、喜びは、イエスさまと切れていない限り、また、自らが一人で立つことができないと自覚するときに、味わえるのです。ずっとイエスさまの中にとどまり続けることができます。繋がっていることができます。そこから生きる力とさらなる豊かな命がほとばしり出ます。

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