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聖霊降臨:「主を見て喜ぶ共同体」に発展することを、いつも目指しましょう

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聖霊降臨(A年)の説教⇒2026/05/24

【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される

聖霊降臨(A年)の説教=ヨハネ20・19~23

2026年5月24日

多分、この世に生を受けた人はみな、一人残らず誰かに「ゆるされた」経験があるのではないかと思います。逆に許した経験もあるでしょうが、それでも、「ゆるされた」回数の方が多いのではないかと思っています。

そうです。人間は誰でも、本人が望む望まないに関係なく、結果としてよからぬことをあちらこちらでしでかしてしまいます。したがって、「無意識」のうちにやってしまうことがあるのです。別の言い方をしますと、人それぞれに「感性」が違います。受け止める感覚が違ってくるのです。同じことをやったとしても、この人にしたときと、あの人にしたときとでは、相手が受け止める感覚が違ってくるのです。だからこそ、何げなくしたことが、そこに居合わせた「この人」にとっては不愉快を感じさせてしまう結果になってしまうことがあるのです。このようなことは、誰にでもあることではないでしょうか。こう言った意味で「無意識のうちに」やってしまったこと、と申し上げています。                      

このように考えてきますと、ちょっと大げさな言い方になりますが、わたしたちは絶えずどこかで誰かに「赦され続けている」ということはできないでしょうか。逆に、傷つけ続けているとも言えますが、・・。でも、いつもプラス思考でいたいですね。マイナス方向を向くのではなく、積極的に前を向いていたいです。

「“スクープ”狙うぞ」という小学生の記事が目に入りました。(南日本新聞2026年5月20日朝刊)

鹿児島県姶良市の三船小学校で「新聞記者」が増えているという話しです。

「手書きの新聞づくりがブームになり、読者の目を引こうと“スクープ合戦”が激化。先生たちも目を丸くしている。先駆けは5年の新枦尚也さん。南日本新聞の取材を受けたのをきっかけに、自分でも新聞を作ろうと昨夏、地元の名を冠した『船津新聞』を創刊した。地域の人やイベントを精力的に取材し毎月発行。自治会の回覧板や観光協会を通して読者を広げ、4月からはコミュニティーFMで月一回の番組を持っている。

同級生の活躍に刺激を受けた5年の馬場園隼人さん、大迫蓮翔さん、西颯太さん、田中嘉人さん、國生楓さんは昨秋、『お仲間新聞』を開始。地元の温泉や物産館を独自取材したりイノシシ目撃情報を載せたり、これまで3号、各10ページほど作り、校内で希望者十数人に配っているという。お仲間新聞の記者5人は『取材力では船津新聞に負けない』とライバル意識をのぞかせ、『これから写真を増やしていく』と紙面改善に意気込む。」

新聞を作成する時に各自意見の交換をする際、ああでもない、こうでもないといって、たまには意見の対立もあるやに思います。でも、その違いを乗り越えて前に進めていく時に、お互いをゆるしあい、受け止め合っていける「仲間」になっていくんですね。こうしてお互いの絆も深められ、強められていくのではないでしょうか。そして、仕事の上でも、お互いの人間関係においても、盤石な礎、基礎が構築されていくんですね。

聖霊降臨:「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、赦される」
聖霊降臨(A年)の福音=ヨハネ20・19~23 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。

教会の典礼には様々な祝日があります。世界中の誰にでも知られ、受け入れられているキリスト降誕祭・クリスマス、また、春の復活祭・イースターも理解されている祝日と言えるでしょう。しかし、これらの祝日と比較すればポピュラーなものとはいえませんが、教会にとってはより重大な祝日と言えるのが今日の「聖霊降臨祭」です。聖霊が注がれなければ教会が誕生しなかったという意味で、教会にとっては記念すべき祝日なのです。

そこで今日の福音で注目したいのが、「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」という一堂に会していたということです。一つの場所に集まっている弟子たち。何のために集まってるのでしょう。その理由は、はっきりしています。ユダヤ人を恐れるあまりの行動です。弟子たちの集いは、自分のことしか考えられない人々の集まりでした。自分たちの師・イエスが、苦難に立たされているのに、散り散りになってその師を拒み続け、その場から逃げ去った人々の集まりです。本当はそうしたくなかったのに、そして、善意の持ち主であったのに、本来の姿を示すことのできなかった弱さを持つ人々の集まりです。

今、ここに集まっているみなは、心に共通の闇と悲しみを抱きつつ集まっています。そして、いざとなれば、こんなにまで醜くなれる人間の変貌、怖さに圧倒されているの者の集まりなのです。そこに、復活の命へとよみがえったイエスが、恐れに震えている弟子たちの心に触れて、平和を告げます。「シャローム(平和)」と。

イエスは告別教話の中で「 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(ヨハネ14章27節)と約束していました。今、イエスのあいさつで、イエスが約束していた「平和」が現実のものとして与えられました。一度目のあいさつで弟子たちは恐れから解放され、重ねて言われたあいさつで息を吹きかけられ、弟子たちは復活の命を生きるものとして新たに創造されたのです。

そして、新たな使命も託されます。それは「罪の赦し」の権能です。イエスは罪を償ういけにえとして遣わされ、十字架の上で命をささげることによって、罪の赦しが人々の上に現実となりました。新たな使命は、別の言い方がゆるされるならば、罪をゆるされた仲間を増やし、共に集まり、その真ん中にイエスがおられる集いを作り続けることでしょう。

仲間が増えることは、一人ひとりにとって喜びであり、あらたな力がわいてきます。一つ心で集まる生きた共同体となり、「主を見て喜ぶ共同体」(教会)に発展することを、いつも目指しましょう。

 

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