
説教の年間テーマ=わたしのすべてを知っておられる神
三位一体(C年)の福音=ヨハネ16・12~15
2025年6月15日
人間社会において、お互いが交わりを持つ一つの手段として「言葉」があります。その言葉の使い方、表現の仕方等により、同じ言葉でも意味が違ってきたり、伝えたいことがすっきりと相手に伝わらなかったりして、その結果、誤った情報が伝わり、互いの関係がぎくしゃくしてくることもよくあります。
一方で、言葉プラス「α」の力が作用して、コミュニケーションの大きな助けになっていることもあります。表面には、はっきりと見えてわかるものではありませんが、実は、これが一番、人を人として尊重し、大事な方としてその人を受け止め、さらに、スムースな交流を推し進めて発展させていくためにも大切な要素であるでしょう。それは、相手への思いやりです。愛情です。
生後間もない赤ちゃんを胸前に抱き、盛んに赤ちゃんに話しかけているお母さんに出会いました。お母さんはどなたでもこうした語りかけをしているように思います。言葉をかけても赤ちゃんからの応答が返ってくるわけでもありません。強いて言えば、時々ニコッと笑って、笑い声とともに手足を動かして見せます。これはお母さんとの対話ができている証拠じゃないですかね。そう感じさせます。まだ言葉を話すことはできなくても、体いっぱいを使って表現しているんですね。何を言いたいのか、どんなことをお母さんに語りかけたいのか定かではありませんが、ただ分かるかなといえるのは、赤ちゃんは気分はいいということです。すくなくとも悪くはないでしょう。ニコニコ顔を見せてくれている限り・・。
赤ちゃんのお母さんを眺めていますと、語りかけをお辞めにならないんですね。そして、赤ちゃんはといえば、耳では、じ~っとお母さんの声と言葉を聞いています。そして、目では、お母さんの顔を見ています。こうして赤ちゃんは、自分のお母さんの声と顔とその表情を記憶していくんですね。
この情景を眺めていてふと思いました。この瞬間が、人生一番の対話ができている「時」ではないかと。無駄な事はない。邪魔者・事はない。お互いがお互いに集中できている時が刻まれています。相手を慮ってあげることのその先に、お互いが十分に受け止め合える一致点が生まれるような気がします。
わたしたち人間社会では、それぞれが、五感でわかり合える手法を用いて互いを受け止め、さらに深めていきます。

今日は三位一体の主日です。わたしたちの知性では、とうてい知ることのできない神の内面の神秘です。神はご自分の内面に留めておくことをしないで、イエスを通して、そのすべてを啓示してくださったのです。イエスの教えの中に、父なる神と聖霊という三位の存在が、はっきりと示されています。そして、わたしたち一人ひとりは、三位一体の神秘の啓示を受けるだけでなく、三位の内面の営みに招かれているのです。それを可能にしたのはイエスの十字架でした。これがまた、イエスが願うところだったのです。そして今、イエスは弟子たちとの最後の別れの説教の終わりに、次のように言われます。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。(ヨハネ16章12~13節)
これによると、弟子たちは十分な意味においてイエスの言葉を理解できないだけでなく、イエスの言葉を運び続ける勇気にも欠けているということになります。だからこそ、イエスは弟子達のために「聖霊」が遣わされることを約束なさいます。神から遣わされる聖霊は「真理の霊」ですから弟子たちを「導いて真理をことごとく悟らせ」ます。
さらには、御父と御子と聖霊は、この世の弟子たちに真理を悟らせるために一体となって導いていくことが分かります。聖霊は「これから起こることをあなたがたに告げる」、すなわち、イエスの十字架と復活を通して現わされるイエスの栄光の業を告げるのです。
これこそが、三位一体の神がわたしたちに語る真理です。
どうしても、わたしたちは人間的な自力に頼りがちになってしまいます。なにがしかのタレントをいただいているとはいえ、一度うまくいくと自信家に変身してしまうのでしょうか。というより、五感にふれてわかることを選び、どこかで優越感に浸ってしまいます。自らの努力の実りが、すぐに結果として分かる、見えることほど嬉しいことはないです。
神との交わりの持ち方は、あの赤ちゃんとお母さんの無言のやり取りの中にある「慮りの心」にあるような気がしていますが、・・。わたしたちと神との関係は「わたしとあなた」の関係です。足りないのはわたしたち人間の神への思いでしょう。神はいつもわたしたちのことを思い、配慮をしてくださるのに、わたしたちはどうでしょう。
神は人間のそうした姿をよくご存じです。そうでありながらも、神はその力によってわたしたち人間にひそかに悟らせようとなさいます。わたしたちも神のなさり方を受け止め、深い交わりに入っていければ、・・・そうあるように願いましょう。
コメント