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年間第6主日:今、語りかけてくれるイエスの説教を、「わたし」はどう聴くか

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年間第6主日(C年)の説教

2022年(C年)説教の年間テーマ=「弱き者を救う神」

年間第6主日(C年)の説教=ルカ6・17、20-26

2022年2月13日

わたしたち人間の世界では、「完璧な者、事」ということはあり得ない話です。どこかが未熟だし、不完全だし、何かが不足しています。さらに、自らの弱さを感じ、限界の壁に突き当たります。自由だと言いながらも、どこか不自由さ、窮屈さを感じながら生きています。

自由社会とはいえ、不自由を感じる原因はどこに?

その不自由さの原因が、時には決まり事、法律であったりします。大事な法律とはいえ、所詮、人間がつくったものです。人間社会には、なくてはならないものではありますが、一方で、限界があり、すべてを網羅することができるはずがないということは、万人が知るところです。とはいいながらも、それでも、その法律を「守ること」を大切にしすぎるあまり、人間の尊厳がないがしろにされることもよくあることです。そのことにより、犠牲になるのが貧しい人、力量のない人、弱い立場にある人、いわゆる、社会の底辺に押しつぶされて生きている人々であるとはいえないでしょうか。

今、わが国ではオミクロン株の新型コロナ感染者が急増してきました。まん延防止等重点措置も各地で発令されています。

一方で、コロナ禍で自殺者が増えているといいます。その背景には、社会的交流がなく、孤独・孤立であること、経済状況が厳しいことや、それにより、社会に対する怒りや恨みが強く関係しているようです。自殺者数が増えたのは1998年の3万人を超えて以降、3万3千人前後の状態が続きました。その状況に対処するため自殺対策基本法が2006年に制定されています。その後、2万人まで減少してきましたが、2020年には2万1081人と、2019年より912人多くなっています。(南日本新聞2022年2月7日朝刊)

困窮者への対策は制度に加えて、各レベルでも必要

自殺の危険因子としては、うつ病や重症疾患の長期化の健康問題、経済的損失、業績不振、予想外の失敗、失職、病気やケガなどの喪失体験、配偶者の死、学業・進路・学校における人間関係などがあります。それに加え、家庭や職場などで支援のない孤独や孤立は危険な要因になり得ます。

その対策には、単に法律の制定ではなく、今は「動き」を大事にする傾向がみられるのではないかと感じています。昨年の12月に、政府は孤独・孤立対策推進会議を発足させました。見守り、交流の場や居場所づくり、生活の支援、住まいの支援、困窮者支援団体等の活動支援などを行うこととしている、となっています。

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しかし、根本的には個人それぞれのレベルから始めていくことがベストだし、それがない限りうわべだけの対応で終わってしまいそうです。つまり、個人のレベルでも行政のレベルでも、真摯に事に当たることが求められます。ルールに従った内容、項目を実現することだけでなく、人を生かすこと、その命を大事にすべきでしょう。

ルカ「山上の説教」はイエスが2人称で語っている

今日の福音は、人間、一人ひとりの命が大事だからこその、イエスの行動、説教であるということができます。山上の説教です。ご存知の通り、マタイの5章にも同じ話があります。しかし、比較してみますとかなりの違いがあることにお気づきでしょう。

マタイは山の上に登ったイエスが話しています。ルカは山から下りてきて、平らなところに立たれた時の話として紹介しています。さらに違うのは、マタイは三人称の表現を使っているのに対し、ルカは二人称です。「あなたたち」と、より具体的です。わたしたちの身近なところにいるイエスを強調したかったのでしょうか。わたしたち庶民と、生きるステージが一緒だよということを、その生きる姿で示そうとされています。

現に、行政の、社会の恩典が及ばない、届かないところで、その底辺に押しつぶされて生きている人々、それが「いま泣いているあなたたち」なんです、とイエスは言われます。当時の支配者ローマ帝国は、輝きを放ち、武力によって平和を与えていた感じがあります。その陰では、侵略され、破壊され、奴隷とされた人々の悲しみ、苦しみ、涙にくれる多くの人々の姿がありました。ルカは、こうした人々に救いの手をさしのべてくれるイエスの姿を、感じていたのではないでしょうか。単に法律の制定、武力を保持するだけでは、真の救いも、安心安全も会得することはできないでしょう。

神の無償の賜物は、虐げられている”あなたたち”に

その上、イエスはこの貧しい人々へ、何一つ要求をしていません。もちろんのこと、無償の賜物です。虐げられている「あなたたち」のことを神は心配し、手をさしのべようとされているのです。わたしたちとしては、ただ手を差し出せばいいのです。

人間の世界では、素直に手をさしのべても、さらなる手続き、要求が次から次へと連続してきます。自分の悲惨な現状を素直に認めてもらえないのです。弱さと限界の中で生きているわたしたちにとっては、これが当たり前のことかもしれませんが、あまりにも手続きが複雑過ぎはしませんか。その煩雑さに、受けることのできる支援を、拒否せざるを得ない人たちが出てくるのではないかと思ったりします。特に独居老人のみなさんたち、・・。

それが時間とともに精神的に押しつぶされていき、ますます孤立化していくのです。そして、自分たちが決めた法律の枠の中で身動きができなくなり、挙句の果てには命の存亡にかかわる事態にまで発展していきます。

今日のイエスの「平地の説教」は、今のわたしたち一人ひとりに呼びかけられている「よろこびの」メッセージです。泣いている「わたし」、嘆き節を言いたくなっている「わたし」、その他、今直面している問題を抱えている「わたし」はどうすればいいのでしょうか。

今日の福音から、イエスのどんな声を聴き分けますか、・・・。

その前に、何をどのように訴えていますか、神に。

 

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