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年間第24主日:イエスは問い続けている「わたしを何者だというのか」

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年間第24主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第24主日(B年)の説教=マルコ8・27-35

2021年9月12日

人間は自分が生きている「環境」から、心身ともに大きな影響を受けます。これは誰もが、それぞれの経験上認めるところではないでしょうか。本人としては、そうなりたくなくても、そうなっていかざるを得ない状況に追いやられてしまうことが多いものです。

コロナ禍での感染回避努力は人それぞれだが

今その真っ只中にあって体験している「新型コロナウイルス感染」下では、まさしくそうでしょう。感染の鎮静化を願うならば、そうあってほしいからこそ、みながこぞって感染回避のための努力に挑戦しています。でも、その回避の感じ方に温度差があるのも事実でしょう。それにより、皆の足並みがそろわない、イライラした環境にもなっていきます。そこから、新たな「災難」が発生しています。つまり、今、あることに悩み、もがいている人々、特に若者・大学生がいます。

その最大の原因の一つが「人流」にあります。新型コロナウイルス禍は、人と人との距離を広げてしまいました。「密」を避けるために、適度な距離を保つようにと、再三再四言われ続け、ある時には、その「距離感」の違いから喧嘩の騒ぎに発展することもありました。それほどに皆が神経質になってしまっているのです。今では、マスク着用、人との距離を保つこと、アクリル板設置等、これらが「当たり前」の世の中になってしまいました。

「私は何者か」と自問する学生が増えている

それにつれて、特に、新しく大学に入学した学生にとっては、「私は何者」と自問する学生が増えているといいます。その背景にあるのが「友だちが一人もつくれていない」という現実です。東京都内の私立大2年新川美桜さん(20歳)=仮名=は2020年度、一度も対面授業がなかったそうです。今年の4月からようやく対面授業が始まったといいますが、それも、週に一度、一こまだけという。大学生としての実感が持てずに自問するんだそうです。「私はいったい何者なんだろう」と。(南日本新聞2021年9月6日朝刊)

今の大学生は、わたしが大学の頃よりもあれをしたい、これをしたい、こうなりたい、ああなりたいと夢というか、計画性をもった日々を描いている人が多いのではないかと思います。また、そうできる時代ですし、社会です。それだけの技量を備えた若者が多いということです。人間としても、技量としても。やはり人は人を求めてやまないのです。新川さん曰く「当たり前の大学生活を送りたいだけなのに」と。

オンライン授業は何かと便利かもしれませんが、欠落しているものもありますよね。人としての「情緒」の交換、やり取りができないということです。対面授業は知識の伝達だけではなく、その教授が醸し出す「その人」としての雰囲気というか、感性をも感じ取ることができるところに、大切さ、尊さがあるのではないでしょうか。キャッチボールができるんですよ。それによって、お互いがより人間らしくなっていけます。これもまた、教育の一環であろうと思っています。いや、むしろ、これが本来の教育の原点ではないでしょうか。だから、オンライン授業は、結果として「独りぼっち」現象を生み出しました。強い孤独感に襲われる学生に、中等度以上のうつ症状がみられるようになっています。「これ以上苦しめないで」と叫ぶ学生が後を絶ちません。

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イエスは直面談を大事にしました。いろんな人と出会い、その度に、インパクトある影響を相手の方に与え続けたのです。「正気を失っているのではないか」「悪魔につかれているのではないか」と、人々に言わしめるほどに強烈な印象を与えていたのです。人々にはイエスの正体がつかみかねていたのです。これは人々のみならず、弟子たちとても同じでした。そのことを今日の福音書は示しています。

「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」

弟子たちはイエスから特別に教育を受け、人々には隠されている神秘が、彼らには見えているのではないかと言われても当然かもしれませんが、イエスは尋ねます。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。ペトロが答えた。『あなたは、メシアです。』するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた」のです。イエスもペトロの答えを否定なさいません。でも、続いてのべられている箇所を見ますと、イエスの真実がペトロに分かっていなかったことを示しています。

イエスは言われます。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。『サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』」と。つまり、イエスの説く真のメシア像にほど遠い答えをするペトロを、真のメシア像の理想に導かれようとされているのです。

神はイエスを通してメッセージを語り、イエスは人間のよき理解者として、世のできごとを通して神秘を悟らせる導きをなさいます。

コロナ禍にある今、学生が「私は何者」と自らに問うて、自らに答えようとしている姿に、神からの「わたしたち」への語りかけが含まれているように思えます。果たしてそれは、・・。

それはまた、わたしたち一人ひとりにも、自らに問うて、自らに答える何某かのメッセージを感じるのですが、その導きとは、・・。

 

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